言霊

  • 2002.04.23 Tuesday
  • 22:05
自助グループのミーティングでは、それぞれがそのときに伝えたいこと、はたまた吐き出したいことを言ったり聞いたりする。

最初の頃は、自分の順番が近づくと緊張して、何を喋っていいかということばかり考えていたし(話したくなければパスをしてもいいのだが)、少し慣れてくると、今度は愚痴であろうと何であろうと、今日は何を喋ってやろうかということばかりに気をとられていた。

 いずれにしろ、他人様の話を聞く余裕なんか無かったのである。

それが、少しずつ周囲の様子が見えるようになってきた。そうなると、自分の心の中にある変化が起こった。はじめは、自分の思いを言葉にできて、人に聞いてもらえるという気持ち良さや、言葉のもつ良い部分しか感じなかったのだけれど、今は、言葉の持つ恐さがわかるようになった。

ある日のミーティングの事だ。話を聞いていたときに(別に恐い話でもなんでもなかった)、ふいに、頭の上からすっぽりと「何か」がおおいかぶさってきたのだ。やわらかい、しかし、ずっしりと重い感触。次の瞬間、背筋がゾクゾクとした。
「風邪気味だったんじゃない?」と言われればおしまいだけど、私はそれを「言霊」だと直感した。そこに集まった、いろんな人のいろんな思いが、一気に押し寄せてきたような気がした。

私たちは体験の分かち合いの最中に、人の話に対して議論したり批判したりすることは無い。
とかく「言いっぱなし、言いっぱなし」になってしまいがちなのだけれど「聞くこと」に注意を向けるようにしたいと思う。実際のところ、自分が話すときよりも、人の話を聞くほうが数倍も疲れる。そして、私の心に不快に響くことほど、今の私には大切なことなんだろう。きっと。

言いわけ

  • 2002.04.14 Sunday
  • 18:20
過食嘔吐が一番ひどかった頃だが、自分を責めたかと思えば、「これが今のわたしの唯一のストレス発散方法なんだもの」と居直ったりと、まあ日替わりで気分がコロコロと変わったものだ。
そのせいか、何事につけ言い訳ひねり出すのが、すっかりと得意になってしまった。
コジツケ、屁理屈もいいところなのだけれど、自分の立場が悪くなると相手の揚げ足を取りはじめたりして、非常に始末が悪い。

ところがウチの彼氏は、そんなわたしのペースに巻き込まれること無く、逆にわたしの卑屈な戦法を見破ってしまったのだった。
最近、喧嘩らしいケンカをしていないのだが、それは相手が適当に受け流してくれているからなのかも。

地雷爆発

  • 2002.04.14 Sunday
  • 05:37
グループのメンバーと喧嘩をしてしまった。

わたしはグループの会計を任されているのだが、取りまとめ先に先月分の会計報告を忘れてしまったのだ。
 それが発端だと思うのだが、メンバーから電話がかかってきて、開口一番「グループがぐちゃぐちゃになっているので、一度話し合いをしたい」と言われた。確かに会計報告が遅れたのはわたしのミスだ。だけど、かわりに領収証を受け取ったからといって「グループについて考えないといけない時期に来ている」とまで言わなくていいじゃないか、と、ついついカチンときてしまったのである。

「あんたにグチャグチャなんて言われたくない」

…とは言わなかったものの、限りなくそれに近い言葉を投げつけてしまった。
その後、グループのリーダーがなんとか取り持ってくれたのだけれど、やっぱり後味が悪かった。
利害関係の無い、ほんの少人数のグループでもモメゴトが起こるんだもの、人づきあいってやっぱり難しい。

お通夜にて

  • 2002.04.14 Sunday
  • 05:08
職場のご家族の方に不幸があって、お通夜に参列してきた。

焼香が終わって、お坊さんのお話があったのだが、その中の言葉で「人様や仏様に手を合わせているつもりが、実は自分の欲に手を合わせてはいないでしょうか」というのがあった。

私の通っている自助グループでは、本の読みあわせをするのだが、その中にも「私の意志が行われるのではなく、神の意志が行われますように」とある。ははあ、言っていることは一緒だなあ、と感じた。
「実際、つまらない欲をかいても結局は身にならないし、「面倒だなあ」と思うほうを選択したほうが、自分にとってプラスになることが多いものだ。

「神」なんて言われると、あやしい新興宗教じゃないかと疑ったりもしたが、このグループの発祥がアメリカなので、文化の違いもあるし、とっつきにくいところがあるのは仕方が無い。

わたしは、信仰をもつこと自体は、ひとつも悪いことではないと思う。信じる対象を間違えたり、むやみに押し付けたりすると人様に迷惑をかけることになる。そのへんの見極めがむつかしかったりするのだが。

どうしても手に入れたいもの。

  • 2002.04.06 Saturday
  • 15:56
それさえ手に入れば、すべてうまくゆくはずのもの。

でも、決して自分のものにはならない、そう認めるのはとても辛いことだった。
なぜなら、今までの自分の考え方、生き方の基準としていたものをすべて捨てなければならなかったから。

今度こそ、うまくいくかもしれない、そうやって何度ダメになったことだろう。

わたしは、まだ余計なものにしがみついていないだろうか。

夢とか目標とか、それは今日をよりよく生きるためのひとつの道具に過ぎないのであって、それらにしばられるものではないのだ。

ロバを連れた親子

  • 2002.04.06 Saturday
  • 15:15
有名なイソップ童話のなかの話。
父と子がロバを連れて歩いていると、通りすがりの人から「せっかくロバを連れているのに、どうして乗って行かないんだ?」と言われたので子どもをロバに乗せてみると、今度は別の人から「親を思いやらない子だ」と批判された。
それではということで父が載ってみると、これまた「子どもを歩かせるなんてひどい親だ」、ついにふたりがロバの背にまたがると、「ロバがかわいそうだ」と避難され、嫌気のさした二人はロバを川へ放り込んで流してしまった…
だいたい、そんなあらすじだったはず。

自分が人からどう思われているかということばかりに囚われていた時期があった。人なんて、それぞれ勝手なことを言うものだ。そのときの機嫌の良し悪しで考えだって変わるだろう。だけどそれが受け入れられずに、他人からの評価にとらわれてしまって、いつもおどおどしていた。
そのくせ、期待通りの反応が返ってこないと、「自分はこんなに無理をしているのに」と相手を逆恨みしていた。

卑屈になるのでも、上から見下ろすのでもなく、相手の立場になって声をかけてあげること。受け入れられたら「もうけもの」だし、はねつけられても、わたしはわたし。
だって、自分が納得して起こした行動だもの。

口はひとつ、目と耳はふたつ

  • 2002.04.02 Tuesday
  • 21:00
言いたいことがあるのだったら、その二倍は人の話を聞き、まわりを見ましょう、ということなのだろう。

わたしが自助グループのミーティングに出席し始めた頃は、「何かを喋らなければいけない」と緊張してばかりだった。少し慣れてくると、今度は愚痴や不満を吐き出したくて仕方なかった。人の話が耳に入りだしたのは、しばらく経ってからのことだ。

それにつれて、ミーティング場は「自分の膿を出すところ」から、「人のパワー(またはときどき毒気)を一緒に持って帰る(または持って帰ってしまうところ)」に変わってきた。
「わたしはあの人とは違う」と思っていたのが「あれはわたしの過去の姿であり、同時に未来の姿かもしれない」と感じるようになった。

わたしたちの五感は、外の世界を認識するためにあるのだろう。今までのわたしは、自分の内面や過去を見つめようとして、ひたすら自分の頭の中で「ああでもない、こうでもない」と考えてばかりいた。

ほんとうの自分とやらがどんなものなのかまだよくわからないが、とにかく今の時間を大切にしていきたい。

吐く辛さ、吐かない辛さ

  • 2002.03.30 Saturday
  • 20:18
やけくそになって食べて吐いて、すさまじい自己嫌悪にさいなまれるのは辛い。「もう二度とこんな思いはするまい」と、いったい何度決心したことだろう。そうやって我慢するのも辛くて、その辛さに耐え切れず、また大量の食べ物を買い込んでしまう、そんなことの繰り返しだった。

一度身についてしまった習慣を変えるのは、苦しいことだ。
わたしを過食へと駆り立てるものは、おもに不安と怒りだ。これらは決してわたしの心の中から消えてなくなることはないだろう。でもそろそろ安易に逃げてばかりはいられない。

理不尽な思いをすることは沢山ある。どう考えても、わたしの怒りは「無理もない」と賛同してほしいし、それが当たり前だと思うことがある。

しかし、わたしはおそらく、不安や怒りに対する自分へのブレーキが効かないのだ。その証拠に、相手を攻撃しなければ今度は「気晴らし」を口実に自分自身を傷つけてしまう…過食嘔吐というかたちで。

以前、職場の人から声をかけてもらったことがある。
「最近、調子が良くなさそうだけど、もしかして職場の人間関係が原因じゃないの?」

その人は、わたしが苦手としている人と仲が良かった(そう思い込んでいた)。「あなたのことを○○さんから(その「お局様」)から色々聞いたのだけれど」。良い内容ではないことは容易に想像がついた。

「一度、声をかけようかと思っていたけれど、あの部屋じゃ話ができないしね。なにか心配ごとがあったら、いつでも来なさい。」

彼女は話を鵜呑みにせず、事情を察してくれていたのだ。

私が怒りをぶつけなくても、どこかでわたしを見ていてくれる人、理解してくれる人は必ずいる。そう実感できて、わたしは涙が出そうになった。

「ありがとうございます。」

以前は、何か言葉を発したくても、それが喉のあたりで止まってしまっていた。事実、喉がつっかえたような、重苦しい感触に不愉快になったものだ。

今は、少しずつ、声に出す練習をしている。わたしが変わってゆけば、周りもきっと変わる、そう信じて。

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