今年のミーティングも無事終了

本日で、年内のホームグループのミーティング日程をすべて終了しました。
例年になく寒いなか、そして連休の合間にも関わらず参加してくれた仲間に、ほんとうに感謝です。

1年の締めくくりの時期ですし、こちらのグループが活動を開始したのが12月ということもあって、その年の最後のミーティングを終えるたびに「今年も無事継続することができた!」という充実感と、ホッとする気持ちがわいてきます。

今年は諸事情により、ミーティングの開催を従来の金曜日から月曜日に変更しました。週末から週の初めに変わることで参加人数の減少が予想されましたが、事実その通りになりました。

しかし、食べ物の問題を第一に解決したいと思っているメンバー、また、グループの運営に関心を持つメンバーが残り、分かち合いの内容もよりOAの本来の目的に沿ったものになったように感じます。

まだどうにか金曜日にミーティングを継続できないか思案していた頃ですが、「引きつづき金曜日にミーティングを開催できるよう、できる範囲でお手伝い願えませんか?」と、あるメンバーに頼んだところ、「私は他のグループで扱う心の問題や人間関係の問題のほうがメインだから(こちらのグループの手伝いはできない)」…と断られたことがありました。

あれだけひんぱんにミーティングに来ていたのに……。私には、その人はやはり食べ物の問題が大きいように感じられたのですが、専門家でもありませんし、私たちのグループが必要かどうかを決めるのは本人ですから、どうしようもありません。

症状がしんどいから精神的に余裕がない、と言われるほうがまだ良かったというのが正直な気持ちです。へこみました。

割りきれるようになるまで、まあ半年ぐらいかな?…時間はかかりました。

しかしある時、ミーティングに初めて来られた方の話を聞くうちに、やはりOAでしか分かち合えないことを大切にしていきたい……と実感したのです。
ほんとうに少人数になってしまったけれど、サービス活動に関わるみんなで決めたこの選択で良かったのだ、と思えるようになりました。そうやって、私は新しく来た人たちにも助けられているんですね。

これからも仲間と居場所をコツコツと守り続けていこうと思います。

不眠症

いやもう、参りました。
ひさびさに不眠の症状が出ております。
20代の頃に摂食障害をこじらせて不眠やうつ症状に苦しんだことはありますが、ここまで眠れない時間の長さと期間が続くのはそれ以来、過食嘔吐がおさまってはじめてではないかと思います。

年内に私の置かれている環境が大きく変わるので、そのせいだと分かるのですが、その環境の変化はけっして私にとって悪いものではありません。むしろ喜ばしいことだし、長い間望んでいたことだし、現実的にトラブルが起こりそうな要素(経済的なこととか人間関係とか)はひとつもないのです。もっとウキウキするかと思っていたのですが、それなのに……。

主治医からは「日ごろ心身が健康でも、今のあなたのような状況になったら体調を崩す人もいますし、けっして性格のせいではないですよ」と助言されました。
しかし、眠れないときのためにということで頓服薬(入眠剤)が出されました。
私の先生はめったなことでは処方を変えないので、ああやっぱりただの不調ではないのだなあと自覚した次第です。

「実際に環境が変わってしまったら、そこでやらなければいけないこともたくさんあるので、また気分も変わると思いますよ」とも言われました。たしかに今は「来るぞ来るぞ」と身構えているけれど、私の一存では物事を進められないもどかしい状態なので、いらぬこともあれこれ考えてしまうのかもしれません。

この年の瀬から春先まで、なにかとあわただしくなりそうです。
いつも以上に体調に気をつけて、目の前のことをひとつひとつ片づけていきたいと思います。
 

お祈りでひと区切り

私の参加しているグループでは、ミーティングの終わりにお祈りを唱えます。
お祈りというくらいなので、「神様」という言葉から始まります。こんなふうに。

神様、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして、二つのものを見分ける賢さを


ミーティングに行きはじめた頃は「神様」と呼びかけることに抵抗がありました。
私は旅先で神社仏閣を訪れることがあればお参りをしますし、お正月になれば初詣に行きますが、それ以上でもないというか、

全宇宙の諸々の存在を超えたところに全知全能の神がどーんと存在する……とも思っていないからです。

しかし今では、私がどう思うかはさておいて、ミーティングの締めくくりにあのお祈りを唱えるのは、とてもよくできた段取りだと思っています。

私たちは自分たちそれぞれの体験を話すだけです。

しかし、実際に集まって人の話を聞くのですから、相手の話についつい引っ張られてしまうことはあります。分かち合いですから。

精神的に調子がすぐれない日もあります。私たちのような病気はその振れ幅が大きい。相手の話がたとえネガティブな話題でなくとも、ちょっと被害妄想的になってしまったりとか。
いくら場数と年数をこなした先輩メンバーの言葉であっても、そのときの自分にとっては刺激が強いことだってあるのです。

ミーティングを終えるときには、司会者が「持ち帰りたい部分だけ持ち帰り、それ以外はこの場へ置いていってください」とアナウンスしますが、あとは自力で持ち帰るものと置いて帰るものの仕分けをしなさいね、と言われている気がして、限界を感じていました。

だから、お祈りを唱えるのか、と。

人間以外の大きな存在であれば太陽でも宇宙でもオッケーなんだけど、ここでは「神様」という言葉を口にして、気持ちをフラットにする。

部屋の中に漂っていた、色んな人の喜怒哀楽の言葉や想念を仕切り直しする……。

そういう意味合いがあるのかな?というか、私の中ではそういう意味付けにしよう、と思いついてからは、当初抱いていた違和感がふっと消えました。

ところで、いま一緒にグループのお世話をしている仲間と気をつけていることがあります。
ミーティングが終わっても、すぐ解散しないように、雑談の時間をなるべく確保しようということです。

少人数のグループなので、そのまま会場を使わせてもらって、残りたい人が残って他愛もない世間話をしています。
ミーティングでは深刻な経験談を話すこともあるけれども、みんなの話がひととおり終わったら、お祈りをして区切りをつける。雑談で笑う。再び各々の生活に戻る前に、そうしたクッションがあると、話しっぱなしで会場を後にするよりも、ずっと気楽な気持ちで帰路につけるのではないかと。とくに笑うのって大切ですしね。

年末も近づきました。お酒や過食を止め始めて間がない人たちにはシンドいシーズンに突入します。ミーティングから帰るときに、少しでも心の荷物が軽くなったと思ってもらえるような居場所づくりを心がけたいです。

しらふでいること、社会人になること

私が自助グループに行き始めたのが縁で、細く長くおつきあいさせていただいている方がいます。

Yさんはアルコール依存症本人でも、医療や行政関係の方でもないのですが、地元のAAがまだスタートしたばかりで人手が足りない頃に、縁の下の力持ちとして尽力してくださった方です。
私がグループに参加して間もない頃も、盆や正月に行われる行事になると、Yさんがお友達と連れ立って会場にかけつけ、裏方のお仕事を手伝ってくださいました。

私がお世話になった年上のAAメンバーにTさんという方がいらっしゃるのですが、このYさんは、Tさんの古くからの知り合いでもあります。

私がYさんにお会いするときには、必ずと言っていいほど私たちの共通の知人であるTさんの話題になります。
この前もやはりTさんの話が出たのですが、Yさんが「まあねえ、最初はとてもびっくりしたんですよ。あんまりにも常識が無くて」と、呆れたような、感心したような口調でおっしゃいました。

20年以上前にさかのぼりますが、TさんはAAを立ち上げる前に、アルコール依存症の壮絶な体験を経て再起を志すまでの半生を個人誌にまとめて、知り合いの方に配っておられました。
その中に聖職者(カトリックの神父さん)がおられ、当時その神父さんの主宰する勉強会に通っていたYさんの手元に届いたのです。

Tさんの手記にいたく感動したYさんは、ぜひTさん本人に会いたいと思い、神父さんに頼んで紹介してもらったのでした。

ところが実際のTさんはというと、勉強会の最中であろうと、他人が話をしていようと、自分が眠たかったらおもむろに机に顔を伏せて寝てしまうし、中座するときもドアを手荒く扱ってドタンバタンと音を立てる。やおら窓のほうへ歩いていって外の様子を伺い、自分の席に戻ったかと思うと、またガタガタと騒々しく椅子をずらして立ちあがる。いったいどうしたのかと尋ねると「路上駐車をしているから、警察が来ないか気になるのだ」と言う。

頭の良さがにじみ出る文章からイメージしていた人物とは大違いです。「山から降りてきた野生児みたいだったんですよ」。私がTさんに出会った頃の様子とはまるで別人だったので、私はあっけにとられてしまいました。

ある日の勉強会の帰り道、Tさんのビニール傘の骨が折れてしまいました。近くにゴミ箱はありません。処分に困ったTさんは、ちょうど目の前の民家の軒先に傘立てを見つけ、壊れた傘を突っ込んで帰ろうとしたのです。

それまでTさんの挙動を受け流していたYさんも、とうとうたまりかねて、

「そんな振るまいじゃあ、生き方についてあなたがどんなに良いことを語ろうと、世間じゃ受け入れてもらえませんよ!」

と一喝。

Tさんはお酒を止めてしらふで過ごすようになったものの、それまで面と向かって注意してくれる人がいなかったのかもしれません。
Yさんのそのひとことが新鮮だったのか、以来、2人の間にはなんだか奇妙なギブ・アンド・テイクの関係が生まれたようでした。

やがてTさんはAAメンバーとして活動を始めます。YさんはAAのオープン・ミーティングに参加して12ステップ・プログラムを実践することで自分の人生を振り返るきっかけをつかみ、TさんはYさんから社会人としての常識やマナーを教えてもらったのでした。

私がAAミーティングに行き始めたころは、この2人の会話を聞いていて、まるでケンカをしているようだと思ったものです。そういういきさつがあったとは知りませんでした。

Tさんが飲まずにこの世を去って、この10月で5年が過ぎました。

今はYさんはAAを離れて、他のメンタルヘルス系の当事者グループのサポートをされています。
私も「依存症ではないけれども、心の病を抱えている方々」のお話に気づかされることが多いので、出しゃばらないように、季節の変わり目に1度ぐらいのペースで、Yさんのグループにお邪魔しています。

地元のAAグループも、今ではTさんのことを知らないメンバーが増えてきました。AAは特定の誰かを持ちあげたりしないのが信条なので、仲間の集まりとしてはそれが望ましい流れです。

しかし、私をはじめ他の多くの仲間にとって、Tさんは今でも大切な存在であることに変わりはありません。Tさんから頂いた言葉や学んだことを日々の生活に生かしながら、私なりの体験を新しいメンバーと共有していきたいです。

それにしても、世間のものさしからズレてしまわないように、グループ以外の人づきあいもバランスよく、ですね。今回のこぼれ話を聞いてつくづく感じました。

ほどほどの距離

晩ごはんの片付けも終えて一息ついているところへ携帯電話が鳴りました。
年下の知人からでした。

しばらく相手の話にうなずいていたのですが、なかなか電話をかけてきた用件が聞けずプライベートな話ばかりで、その内容が深刻なほうへと進んでいきます。なんだか雲行きが怪しくなってきました。

相手が感情的になっている場合は話を打ち切ると逆効果なのですが、そんな様子でもなさそうです。彼女の話がちょっと途切れたすき間をついて、あえて話題を変えてみました。

これがふだんから顔を合わせている自助グループのメンバーであれば、本人が落ち着くまでそのまま話を聞くように努めるのですが、こちらの知人とは1年近くもご無沙汰しています。着信があったときも、メールアドレスも交換しているのにもかかわらず、メールではなく直接電話をかけてくるとはいったい何事だろう?と思ったぐらいです。

このまま相手の悩み相談を聞き続けていると何らかの形で意見を求められるような気がしました。でも長い間会っていない人間が軽々しく答えるような内容ではありません。

そして、彼女の話を聞いていてひっかかったのは、「○○さんからこう言われたんですけど、××さんからはこう言われたんですけど……」という言葉は出てくるものの、そうした助言を踏まえて、じゃあ自分はどうしたいのか?という意見がさっぱり出てこなかったことです。
……おつきあいのあった頃から、彼女にはこのような傾向がありました。

話題を変えたついでに、やんわりと相手に質問してみると、相談するべき適当な立場の方が彼女にはちゃんといらっしゃることが分かりました 。ならばなおさら私が出しゃばるべきではありません。
つまり、私に相談したいというよりは、その人に相談しづらかったのでしょうね。「こういう時こそ、まずはその人に連絡をとったほうがいいと思うよ」と伝えて、相手が心から納得していない気配を感じつつも会話をおさめました。

電話を切った後で、私自身、過食がひどかった頃に彼女と同じことをしていたのを思い出しました。 当時、共通の趣味を通じて知り合ったというだけの人に対して、とってもシリアスな相談事をしたのです。
十中八九、相手はドン引きしたんでしょう。それきり、相手からいっさいの連絡が途絶えてしまいました。
また、相手に過剰に適応しようとして、人の顔色を伺い過ぎて体調を悪くしたことが何度もありました。

あるいは、昔の私であればもっと親切に彼女に接しただろうとも思いました。人の役に立ちたいとか、人から頼りにされてうれしいとか。
今でもそういう気持ちはあります。でも、昔は相手との距離を考えることなく、来る者拒まずで受けていましたので、結果として相手に振り回されたり、「え、せっかく時間と頭を使ったのに!」と腹を立てたりしていました。
その人との関係の深さ、浅さに応じてコミュニケーションを加減出来ないという点では、彼女となんら変わりはなかったのです。

かつて私は、とにかく「お近づきになる」ことが人とコミュニケーションを取ることだと思い込んでいました。
私にとっての人づきあいとは、お近づきになりたいという意識よりも、他人とほどほどの距離を持つ、キープし続けるという意識を持つほうがずっと重要なのです。それに気づかされたのは、自助グループに通い始めて様々な経験をして、かなりの年月が経ってからのことでした。

今でもバランスの良い距離の取りかたができているのかは分かりません。グループに来て日の浅いメンバーからは素っ気ない印象を与えているかもしれませんし、逆に相手のテリトリーに不用意に踏み込んで不快な思いをさせているかもしれません。それを恐れていたら引きこもるしかなくなりますから、試行錯誤しつつ相手との「ほどほどポイント」をつかんでいくしかないのかなと感じています。

そんなことを考えさせられた、一本の電話でした。

母の付き添い

週末に、母の手術の付き添いのため帰省してきました。

高齢者にとても多い症状で、命に関わるような手術ではありません。付き添いぐらいなら、同居している父でも務まるのではないかと思ったのですが、「娘さんに来院して頂けるようなら、ぜひそうしてください」と言われたとか。父では役不足だったようです。80歳を過ぎると世間ではそう見られても仕方ないのかね……と思いながら病院へ向かいました。その父も一緒に来てくれました。

父は少し耳が遠くなりましたし、母は同じ話題を何度も口にすることが多いですが、いずれも年齢なりの程度で、日常会話も問題なくできます。それは私のひいき目かもしれませんし、「自分の親だけはいつまでも元気だ」と思い込んでいるからかもしれません。

しかし、病院の一部のスタッフの対応には、いささかうんざりさせられました。

とにかく患者(母)にくどいほど確認し、復唱させる。医療事故を未然に防ぐための対策があって、その通りに進めなければいけないのだろうと見当がつきます。
わかるんですけどね、頭では。

話はそれますが、テレビでレポーターがご年配の方に「うわあ、おばあちゃ〜ん、よかったですねえええ」と、まるで子どもに接するような態度でインタビューするのを目にすることがあるのですが、私、あれが嫌いなのです。
ご老人はニコニコして応じていて、さすが年の功だなあと感心します。私が将来年を取ったときに、あの寛容さが身についているでしょうか。同じ状況に置かれたら「私はアンタのばあさんじゃないよっ!」とかみついてしまいそうです。

ともかく、それに近いタイプの看護師さんがいたのです。
私の嫌いなタイプのレポーターは愛想があるだけまだマシなのですが、私には「こっちだって何度も聞きたくないわよ、面倒だし。でもマニュアルに書いてあるんだから」と言わんばかりの態度に受け取れました。

私も両親に対しては、ほじくり返せばそれなりに愚痴も言いたくなるし、わだかまりがすべて消えたわけではありません。
しかし、それはそれ。親を頭ごなしに年寄り扱いされて、気分が良いわけがありません。

親にとどまらず、ある看護師さんから「緊急連絡先に書かれてある電話番号、これは娘さんのですか?今その携帯電話をお持ちですか?記入された番号に間違いがないかどうか確認しますので、携帯電話の画面を開いて、番号を表示してください」とまくし立てられたときには、遠慮のない広島弁が口を突いて出そうになりましたが、当事者の母が遠慮がちにしていたので思いとどまりました。
私の感情がもろに顔に出ていたのでしょう。その看護師さんが立ち去ったあとに、一連のやりとりを見ていた父がボソッと「(携帯電話の番号を)書かなきゃ、えかったの」とつぶやきました。

いっぽう、手術後に対応してくれた看護師さんはとても気持ちよく対応してくださいました。私より年上に見えましたので、もしかしたらご自身も家族の介護を経験されたのかもしれないと想像しました。
要は聞き方、たずね方の問題なのでしょう。

私の実家は市内でもかなり交通の便の悪い町にあります。今回母が手術を受けた「科」は、町にはその病院しかありません。私のような付き添いの家族も含めてですが、ざっと40人ぐらいが、さほど大きくない個人病院の待合室に座っていました。母の話では、車で小一時間かかるようなところからも通院している患者さんもいるのだとか。

田舎といえど市街地に近い町には、公立病院もちゃんとあります。
話は2,3ヶ月前にさかのぼりますが、私は母から「主治医に紹介状を書いてもらって公立病院に入院し、手術を受けるか」または「入院施設はないが、いつもかかっている町の病院で日帰り手術を受けるか」電話で相談を受けていました。
夫の家族が同じ症状で手術を受けたことがあったので相談に乗ってもらい、そのうえで母には入院をすすめたのです。

しかし母は「手術の後はもとの病院に通うわけだし、お世話になっている先生に悪いし」という理由で、入院設備のない、かかりつけの病院で日帰り手術を受けることに決めてしまったのでした。

母が「この辺りは年寄りばかりだし、病院も少ないし。内科でも外科でも、先生に嫌われたらねえ……」とこぼしていたのが気になりました。 母は昭和ひとケタの生まれだからか、元来の性分からなのか、我慢強いのが度を越して、言うべきことも伝えないふしがあります。いまさら母の価値観や性格を変えることはできません。
それだけに、娘の私よりずっと年下の看護師さんから、まるで母が記憶力や理解力が無いかのように、処方薬の用法や術後の自宅での過ごし方をくどくど伝えられ、復唱させられる様子を目のあたりにして、そんなに母のオツムが信用できないなら、最初から入院できる病院にまわせばいいのに、と思ってしまいました。病院(ドクター)が選べない環境は、家族として非常に不安になりました。不安というより、イライラすると言ったほうが近いか。

母には「大病を患わないに越したことはないけど、もし今後大きな病気になったり、膝や腰の手術が必要になったら、私に迷惑をかけちゃいけないとか思わないで、かならず相談してね」と伝えておきました。

私は一人っ子なので以前から覚悟はしているのですが、おかげさまで両親がともに元気なこともあって、この歳になるまで本気で考えたことがありませんでした。いい加減シミュレーションをしておく頃なのかと今さらながら思い知らされております。

この前が最後だと言いましたが……

前日になってチケットを譲っていただけることになり……










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去る19日(金)、またまたスタジアムに行ってしまいました。

コンデジも修理から返ってきたし、当日はベイスターズの試合前練習をじっくり拝見しましたよ。

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見れば見るほど脇腹がどうにかなりそうなグリエル選手のバッティングフォーム

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現在、盗塁数がセ・リーグトップの梶谷選手。カープ戦ではお手やわらかに頼みますよ〜と思いながら見ていたのですが……。

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筒香選手。先月試合中にアクシデントがありましたが、無事に復帰してよかった!この日は練習中も快音を響かせていました。

ううむ、ベイスターズ打線、手ごわいではないか……ということでスタメン発表。

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カープに田中選手の名前がないことにびっくり。ネットで調べて練習中(観客入場前の時間帯)に、額に打球が直撃してしまい急きょ病院に搬送&即時登録抹消されたと知りました。再登録は最短で9月末。なんてことだ。

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この日の“良かったこと”は4番のエルドレッド選手に待望のホームランが出たこと!

なお試合は、

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筒香選手のタイムリーでベイスターズが先制、次いで梶谷選手のタイムリースリーベース&スリーランホームランで、7回にジェット風船を飛ばす頃には大差がついてしまいました。9回ウラに反撃するも追いつかず(泣)。ビジター側の2階席(パフォーマンスシート)からは試合後もベイスターズ応援団のトランペットにのせて応援歌が高らかに響きわたっていました。
実はかのチームのチャンステーマはけっこう好きなのですが、現地で聴くとしんどいです。

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ここ2、3年は野球を見に行くどころではなくて、今年はその分を取り返すような勢いで球場に足を運びました。
もうさすがにチケットのあてはないので、この眺めも来シーズンまでお預け(の、はず)。

すっかり日の入りも早くなり、帰路につくころには上着が無いと肌寒いくらいでした。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものですね。
知らず知らずのうちに身体が冷えたのか、次の日(土曜日)は軽い頭痛がしたのでおとなしくしていました。風邪をひかないようにしなければ。月末に向けて無理せずがんばろう……。

デジカメさん入院。

長年愛用しているデジタルカメラ(キャノンの PowerShot G9)が故障しました。

先日の野球観戦のときだったのですが、現地に到着してウキウキしながら電源を入れたところ、モニターに映る被写体がピンボケなうえ画面の隅のほうに変な影が写り込み、そのまま動作停止。
次の瞬間モニターが真っ黒になり、「レンズエラーを検知しました」と表示され、やがて電源が落ちてしまいました。
……前の晩にチェックしたときは何の異常もなかったのに!

もう一度電源ボタンを押しましたが、今度はモニターに何も映らず、すぐに「レンズエラーを検知しました」と表示され、数秒後にOFF。
レンズ(筒の部分)は中途半端に繰り出されたままになってしまい、引っ込みません。

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(スマホで急いで撮影したのでピンボケです。すみません)次の日にネットで下調べをしてみたのですが、どうもコンパクトデジカメの宿命?らしいと分かりました。

ダイビングをしていた7年前に、水中写真が撮りたくて PowerShot G9 のひとつ前の型の G7 を購入しました。ウミウシからウミガメ、ジンベエザメまで、1台で気軽に撮れるのがコンパクトデジカメの良いところです(海中でレンズを付け替えるわけにはいきませんので)。
そのG7は防水ケースのセッティングミスから水没させてしまったのですが、旅行保険でカバーしてもらえました。G7はすでに製造終了していたため、代わりにゲットできたのが、このG9でした。

G7を活用できないままオシャカにしてしまった負い目があったのか、それとも「わらしべ長者」のような入手経緯でよけいでも愛着がわいたのか、とにかく海に潜らなくなった後もなにかと重宝しました。それから数年。使用頻度や年数から考えても寿命だったのでしょう。

サービスセンターに問い合わせたところ、落下などの強い衝撃を加えたとか、砂ぼこりなどの悪い環境で使用していたわけはないので、おおよそ13,000円程度(税込)で修理してくれるとのことでした。買い替えるのはもったいないので、修理をお願いしました。
G9はアフターサービスの期間が来年夏までだそうで、次にトラブルが起こった時にはいよいよお別れしなければなりません。

当時のこのクラスのカメラの価格で、今頃はデジタル一眼レフの入門機が買えるんですよねえ。球場でも女性ファンがデジイチを手にしているのをよく見かけます。隣で「カシャカシャカシャカシャーッ」と軽快なシャッター音がすると、おお……と思いますが、このG9を使い倒して成仏させた時に、まだ写真に興味があれば考えようかと思います。^^