10年ごしの持病、ひとまず投薬休止。

  • 2019.12.21 Saturday
  • 09:43

私がバセドウ病(甲状腺機能亢進症)の投薬治療を受けてから11年になりますが、このたびやっと、投薬をいったん休止することになりました。

備忘録がてら、こちらのブログにも書いていますが、前回の記事が4年前になっていますね。

 

その前回の記事のとき(2015年・治療8年目)に

 

>毎日1回1錠の処方から、1日おき1錠に変更になりました。

 

とありますが、たしか去年ぐらいからかな?3日おき1錠にさらに減薬されていました。

 

今回、薬をのまずに2か月ほど様子をみて、またそこで血液検査をして、その後の処方が決められるそうです。

 

私の場合は、バセドウ病だと分かってからは、投薬治療がスムーズにいって、おかげさまで日常生活に支障なく過ごせました。

お仕事も事務職だったし、一刻も早く治療しないといけない!という立場でもありませんでしたから。ときどきアスリートの方が闘病されているのをメディアで見聞きすることがありますが、あの方たちは身体を酷使して記録、結果を残さないといけませんもんね。大変だと思います、ほんとうに。

 

外見の変化についてですが、私に出た症状は「喉元」と「目元」でした。

初期のころには喉元がぷっくりはれたり、眼球が少し出たかな?と心配になったこともありました。でも、思い悩むほどのことにはなりませんでした。

喉元のふくらみも2、3年かけて徐々に小さくなっていって、今はありません。

目はどうかなあ?昔の自分の写真を見てみると、発症する前の目元とは、やはりちょっと違いますね。自分では少し驚いた、ということでも「驚いた!!」みたいな表情になっちゃいます。

でも、遠慮なく物を言えるはずの親しい家族から「アンタほんとに人相が変わったね」と言われたこともないので、まあこんなものかと思っています。

 

主治医の話によると、ふたたび投薬が開始になる確率は「五分五分」だそうなので、正直、期待はしておりません……。

ではありますが、薬を飲まなくていい生活は単純に、ラク!なので、できればこのまま経過観察が続いてほしいです。

さて、どうなりますやら、神様におまかせですね。

再結成ライブから3年

  • 2019.08.04 Sunday
  • 22:11
先月はイエローモンキーのライブが地元でありましたので、行ってきました。




以下、ライブの内容ではなく、私のことだけを書きます。すみません。

思い起こせば私が初めてイエローモンキーのライブに行ったのが1995年。人生のほぼ半分を彼らの音楽とともに過ごしていることになります。

3年前の再結成ライブのときと同じくSS席は望まず、「スタンド席でいいわ」と思ってチケットを申し込んだのですが、花道にほど近いアリーナ席が当選しました。昔、好きで好きでたまらなかったころはアリーナの後ろだったりスタンドの上のほうだったりしたのに、今みたいにしみじみ穏やかに応援するころになって良い席が当たるようになったのはなぜでしょう?(ライブはソールドアウトでしたよ)

今回のツアーは再結成して3年、19年ぶりのアルバムを発売してのものでした。

前回は昔の曲がメインだったので、今度こそ、ほんとに戻って来たんだ!と感じました。

アンコールのとき、メンバーが代わるがわる私たちのいる側の柵のギリギリまで駆け寄ってきてくれました。昔の私であれば頭が真っ白になっていたところですが、メンバーに向かって手をふりつつも、「皆さん、もうおじさまなのにスラリとしてらっしゃる…さすが…そしてお召し物も素敵…」と、頭の片隅でたんたんと観察している自分がいました。私の周りにいたお客さんの表情やふるまいがとてもほほえましかったです。私も20年前はあんな感じだったんだろうな。

以前にブログでも何度も書きましたが、自分がとても辛かったときに精神的な支えとなってくれたバンドであります。

90年代はネットがなかったので、公演ごとにアンケート用紙が配られていたのですが、毎回、ライブが終わった後に会場のロビーの片隅で、切々とメッセージを書き綴っていました。

活動休止が発表されたときは、自分の身体の一部をもぎ取られたような気持ちになりました。

それなりの長い時間をかけて自分のなかで思い出のバンドにしていって、十数年経って再結成されて、それはすごくうれしいし、今でも好きだけど、昔のような熱狂的な心地には、もう戻らないような気がしています。けっしてミュージシャン側の問題ではなくて、私が年を取ったということなのだと思います。

そうは言っても、今でも過去の歌を聴くと、その頃の出来事と心理状態がセットになって頭によみがえります。

20代の私をこの世につなぎとめておいてくれた存在であることに変わりないし、あの頃の私の病状(病気という認識はありませんでしたが)からして、再結成の報を聞く前にあの世に行っていたかもしれません。

あれこれ思いながら帰路について、最後は「今日まで生きてて良かったなあ」と思いながら眠りました。

次のツアーがいつになるか分からないけれど、たぶん足を運ぶと思います。そしてこれからは、「生きてて良かったなあ……」と感動しながらライブを楽しむようになる気がしています。

2019年、あっと言う間に一年の半分が過ぎてしまいました。

  • 2019.07.06 Saturday
  • 18:21
すっかりブログをごぶさたしていますが、生きてます。

おかげさまで自分は元気にやっていますが、ここ半年は、身内が入院したりケガをしたりで、あわただしく過ぎてしまいました。年を取ると家族の面倒で時間が過ぎていくのを実感しています。

入院したのは私の義母ですが、さいわい早いうちに原因がわかったので、重症にならなくて済みました。

入院期間の後半は高齢者ばかりの病棟に移りました。相部屋の患者さんの言動を見聞きして、「自分はどんなおばあさんになりたいだろう?」と考えさせられました(私が目にしたのはその場の振る舞いだけで、その患者さんのこれまでの人生や性分を知らないので詳しくは書きませんが)。

いずれ自分が介護される側になるのだな、とか、健康に年を重ねるのはなんと難しいことか、と痛感しました。

身体的にも健康でありたいし、精神的にも、そして霊的にも健康でありたい。年老いてもそうありたければ、今のうちから心がけておいて、ちっとも遅くない。

どんなに気をつけておいても身体も脳もガタがくるときはくるのだろうけど、もし、

節制すること

自我を小さくすること

他人に感謝はするけど、違い探しはしないこと

特別扱いされたい、かまってほしいという欲求に気づき、身の丈をわきまえること

一人の時間も気持ち良く過ごせるようになること

毎日が花火大会じゃないと気がすまない、じゃなくて、地味な日常生活を楽しめること

地道な努力をいとわないこと

これらの積み重ねをしていって、無難とはいかなくても、「小さい難」ぐらいで済んだらいいな、と思っています。

その点でも、私は若いうちに自助グループと12ステップを知ることができて、ほんとうに良かったと思います。

これから、自分の身体もふくめて「ままならないなあ」と痛感することが多くなりそうですが、怒らず、八つ当たりせず(笑)過ごしていきたいです。

2019年も無事に過ごせそうです

  • 2018.12.26 Wednesday
  • 21:36
あと1週間で2018年も終わります。先日は今年最後のミーティングに行き、仲間にあいさつをしてきました。

個人的には良くも悪くも日常にひびくような大きな出来事は起こらず、ひとことで言えば、地味な一年でした。

このところ「平成最後の」という言葉をよく耳にしますが、私にとっての平成は、そのまま社会人としての歳月です。親元から離れ、独り暮らしを経て、新しい家族を持った30年でした。

また、このブログを始めたきっかけでもある摂食障害、飲酒の問題については、平成の前半は病気をこじらせ、絶望したり居直ったりを繰り返した日々、後半は自助グループにたどり着き、回復の道を歩んだ30年でもありました。

率直に言うと、病気から離れられるとは思わなかったですね!人生わからんもんです。

これからも、打ち上げ花火のような派手な幸運は別にいいので、穏やかーに、毎日を過ごしていきたいです。

皆様も、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

謹んで豪雨災害のお見舞いを申し上げます

  • 2018.07.16 Monday
  • 17:37
謹んで豪雨被害のお見舞いを申し上げます。

残念ながら西日本に甚大な被害が出てしまいました。

私の住む地域は被害はありませんでしたが、夜通し強い雨音が続き、気味の悪い思いをしながら過ごしました。
翌日のニュース映像を見てただただ驚くばかりでした。

あの豪雨の中、特別警報が出ていても、深夜では避難することもなかなか難しかったでしょうし、私も心の中では「近くの河川は整備されているし、自分のところは大丈夫だろう」と思っていました。

私がお世話になっている自助グループは、お借りしている施設が災害ボランティアのセンターとして利用されるため、ミーティングは一時休止となっています。

そして、梅雨明けしたとたんに連日の猛暑です。私の子どもの頃の天気に比べて、気象が変わりつつあるのではと感じています。

今後は「ひよっとしたら」という心構えを持ち、日頃から準備しておく必要があると感じました。

いまだ消息不明の方々にはご無事であることを心より願うとともに、亡くなられた方々につつしんでご冥福をお祈り申し上げます。

最近の運動メニュー

  • 2018.06.14 Thursday
  • 17:29
久々のブログ更新ですが、今回は私の最近の運動メニューについて備忘録がてら書きます。

現在、日課にしているのは毎日平均して5,000歩程度のウォーキングと、自宅でスクワットと腕立てふせを約10分ほどです。

毎日10,000歩を目標にしたことがありましたが、時間のやりくりがつきません。筋トレも気分がのれば時間をのばすこともありますが、ハードルはあくまで低く、です。

心構えとしては「暑くても寒くても、この程度なら続けられる負荷」を優先しています。(具合の悪いときは頭を切り替えて休みます)

30代の初めの頃は、過食嘔吐が再発しないように、ということが最優先でした。食べてもそのぶん運動すればよいと思い、実際に仕事が終わってからジムへ週3回〜4回通い、筋トレと有酸素運動を合わせて2時間近くやっていました。

あのころの「貯金」のおかげで元気に過ごせていますし、やっていて本当に良かったと思っています。これから10年、20年先のことを考えると、体重や体形よりも、健康のために運動は必要と実感しています。

今でもあの頃の習慣を続けてればもっとスタミナがついていたと思いますが、独身時代のように時間が自由になりません。毎日5キロのジョギングが続けられれば、好きなように食事ができるのでしょうが、それも私の今の生活環境や体力では、現実的ではありません。

食事に気を配りつつ、運動もほどほどに、という段階です。

体重計には10日に一回ぐらいは乗っています。そこで体脂肪率を見て、食事内容を見直しています。

ただ、昔のように体重が100g上がった下がったでパニックになることはありません。年をとったせいもあるでしょうね。服装の好みやレパートリーも決まっていますし(おしゃれに関して他人と比較する意識が薄くなった)、外見よりも「死ぬまで自力でトイレに行きたい」という方向へ目標が変わりましたので…。

まあ今でも人並み以上に食欲は旺盛ですし、私にとって「節制」は一生のテーマですね。運動はノルマではなく、楽しくするものという気持ちをなくさないよう、続けて行きたいです。

受験の思い出

  • 2018.02.11 Sunday
  • 13:38
受験生の皆さんはラストスパートの時期ですね。例年になく次々と寒波が襲来しています。とくに受験日の前後には交通などの不便が出ないように願っています。そして体調に気をつけて乗りきっていただきたいです。

今日は私の大学受験の思い出を記します。

私が受験生だったのはもう30年近く前です。

共通一次試験(今で言うセンター試験)で早々に失敗しまして、この時期は気持ちの整理がつかず、さしあたりやるべきこともなく、ただぼうぜんと過ごすばかりでした。あれが人生初の挫折でした。敗因は「見込みが甘かった」の一言に尽きるのですが。

家庭の事情で私立への進学という選択肢は最初からありませんでした。当時は父親との折り合いが非常に悪く、私にとって進学とは家出の手段でした。アルバイトをするにせよ、とにかく実家を飛び出すための口実を早急に考えねばなりませんでした。

一次試験が終われば学校は自由登校です。家でじっとしているよりは少しでも長く学校に居たい。すでに就職や進学の決まっているクラスメイトに話し相手になってもらいながら、宙ぶらりんな日々を過ごしました。
東京や大阪へ滞在して私立大学を複数受けたり、あるいは私と同じように受験に失敗しながらも、予備校に行けることになった同級生をうらやましく思ったりもしました。

結局、私と父の間のトラブルを見かねた母が、私の一人暮らしのための支度をヘソクリから整えてくれました。私は実家から数十キロ離れた土地にアパートを借り、春を迎えました。

その年はアルバイトをしながら親に内緒で受験勉強をして過ごし、次の年に夜間制の大学に合格、入学しました。ついでに就職先も決めました。そのまま広島に住み着いて、そろそろ30年になります。

当時の大学は今の授業料の半額ぐらいでしたし、授業料免除制度もありました(今でもあるのかな)。半期ごとに半額免除、全額免除を受けながら、なんとか自力で学費をまかなえました。

職場ではごく一部のお局様から「他の部署だったら残業続きで大学になんか通えないわねぇ」などと嫌味を言われることもありましたが、圧倒的に多くの先輩方からは励ましの言葉をかけてもらい、無事卒業できました。卒業式の翌日には、上司が朝礼の時間に私の卒業証書を披露してくださって、本当にうれしかったです。

しかし、私の場合は、進学の第一の目的が「とにかく実家を出て父親の扶養から名実ともに外れたい」「父親を見返してやりたい」という恨みに基づいたものだったので、いまの私の頭の中には、大学時代に学んだはずの知識がまったく残っていません……。
友人の中には、後に仕事と子育てをこなしながら難関試験を突破して開業した人もいるので、まあ完全な言い訳です。

父親とのあれこれは、先日とある医療関係者に話したら「現在なら行政に相談すべきレベル」の出来事だったらしいので別の問題ですが、大学受験に関しては、いち経験者として言えるのは「受験に失敗、浪人して良かったとは言い切れないが、悪いものでもなかった」というところです。

昼間は働いていましたから、大学生らしい娯楽やイベントは楽しめませんでした。しかし、景気の良いときに就職できたおかげで、同級生たちのように就職活動に苦労することはありませんでした。

夜間大学に通っているというだけで、周りの年上の人たちがなにかと声をかけてくれました。それまでは「親イコール大人の代表」みたいな狭い視野で生きていましたから、私の大人に対する歪んだイメージがずいぶん矯正されました。現役合格してすんなりと大学に入って、たまにアルバイトをする程度だったら、まだ時間がかかったかもしれません。

18歳の冬は「もう人生詰んだ!」と絶望していました。
その時私に起こった出来事が私にとって良いことなのか悪いことなのかは、5年10年経ってみないと分からない、じつは死ぬまで分からないんじゃないかとも思っています。

若い、というだけで可能性を信じてくれて、応援してくれる大人がいます。私もそんな人たちにサポートしてもらってきたのだと、今になって分かります。ですから、私も決してあの時のイヤミなお局様ではなく、余裕のあるおばちゃんでいたいと思います。

余談になりますが、自助グループの仲間で通信制の大学を卒業した方がおられて、その体験談に私も少なからず刺激されました。10代の頃と今とでは興味のある分野は違いますが、いずれもう一度、恨みからではなく、好奇心と健全な気持ちで教養を深めてみたい気持ちがあります。まだまだ学力もお金も足りませんので、そのための準備を今年から少しずつ始めていく予定です。

2018年、今年もよろしくお願いします

  • 2018.01.24 Wednesday
  • 21:08
早いもので2018年を迎えて一ヶ月が過ぎようとしています。

この冬は次々と寒波が襲来しますね。

私はこの寒さで、ここ一ヶ月は微熱が出たり引いたり、だるかったりを繰り返しています。
年賀状を書くタイミングも失ってしまい、つい先日ようやく寒中見舞いを投函して、ようやく年末年始の仕事をやりおえた気持ちになっています。

病院の診察では特に異常は見られず、微熱が出るのも、私の場合は(治療中の)バセドー病が原因ではないそうなので、深く気にしないことにしました。いつ更年期症状が出てもおかしくない年齢でもありますし……。

40代後半の体調の変わりようは、かつてお世話になった職場の先輩からなにかと聞かされていたので「おお、来たか。そうか、こういうことか」という感じなのですが、自分なりに生活習慣に気をつけていてもこの調子なのですから、もし若い頃のまま過食嘔吐と大酒飲みを続けていたらと想像すると、ゾクッとします。

バリバリ元気で、何事も気合いだ、努力すれば結果が出る!とハッパをかける人も世の中には必要ですが、私はそういう役回りではないので、そこそこ元気でいて、

「しんどいときはしんどいよねえ」

「まあでもぼちぼちやりましょうか」

と、人と言い合えるような歳のとりかたをしたいです。

こちらのブログは今年もゆるやかなペースでの更新となりますが、よろしくお願いします。

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