自分の話を出しきるが先

  • 2015.10.25 Sunday
  • 00:07
グループとは別のお付き合いの知人から聞いた話。

Aさんは成り行きから、ある聖職者を招いて講演会を主宰することになりました。

参加者と講師との親睦をメインにしたいので、講演会の後に食事会を設けようとAさんは考えました。少人数でゆっくり交流してもらうほうが良いと思い、あえてネットは使わず、クチコミだけで宣伝をしました。

おおよそ見込みどおりのほどよい人数に落ち着きました。申込をしてくれた人に案内はしたし、会場にも確認済み。やるだけの準備はやった。当日はなんとかうまくいくだろう…と思っていました。 ところが。

あれだけ事前の申込が必要だと知らせていたのに、当日になって押しかける人が何人も現れたのです。
ある程度予想はしていたものの、その予想を大幅に超えてしまいました。講演会はまだ良いとして、親睦会は食事の都合があります。

何よりもAさんが驚かされたのは、そうやって急に押しかけてきた人の態度でした。

せっかく来てくださったのだから、なんとか対応してあげたいとは思う。 しかし、希望どおりに対応したのにお礼のひとつもない。悪く受けとりたくはないけれど、来ればなんとかなるわ、おカネは払ったんだからいいでしょ、と言わんばかり。それは社会人のお付き合いとしてどうなんだろう?

あるいは、講演会が終わるや否や講師をつかまえて一方的に自分の話を始めたり、親睦会の場なのに、講師を独占して話しこんでしまう人が何人もいました。

終了後には、イベントの経験が浅いとはいえ、こんなに疲れるものとは…とグッタリしたそうです。

Aさんがすごいなと思ったのは、それでもめげずに以後何年にもわたって定期的に講演会を主宰したことです。

経験を積むうちに、「聖職者から生き方についての話を聞きたいと思ってやって来るぐらいの人だから、他の人への配慮ができる人たちが集まるだろう」という最初の思い込みがそもそも間違っていたこと、いや、そういう人たちもいるけれども、講師の話を聞きたいのではなくて、「自分の話を誰かに聞いてほしい人たち」もたくさん来るのだと悟ったそうです。そういう人たちは、おおむね他人の立場を配慮する余裕がないのだと。

私はAさんのお話を伺いながら、私たちのような病人どうしの集まりならともかく、普通の人たちの間でさえも、その程度のことは起こるのだなあと興味深く聞きました。

私も確実に「困ったちゃん」の一人でした。
ミーティングに行き始めた頃も、人の話なんか耳に入らなかったし、時間配分なんか考えもしなかったし。

ただ、どこかのタイミングで、自分のお酒の問題、自分の食べ物の問題、「そうやってグチグチ他人の批判をする自分ってどれほどの存在よ?」とハタと気づかされる瞬間がありました。正確には覚えてないけれど。

私たちのグループに残る人たちも、人それぞれタイミングは違いますが、そのような経験をしたのだろうと思っています。

ミーティングの数少ないルールのひとつに「クロストークはしない=人が話している最中に口を出さない」というものがありますが、実によくできたルールだと思います。それだけ人の話を聞き続けるのは難しい。人の話を聞いて浮かんでくる自分の感情を受け止め、向き合うのも難しい。

これからも私はミーティングでたくさんの人の色んな話を聞くでしょうが、昔の自分がどうだったかを忘れないでいたいです。

しかし、Aさんの話を聞いて、自分が覚えていないだけで、人様に対して義理を欠いたり、配慮のないふるまいをたくさんしたのだろうと反省しております。

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2015 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM