しらふでいること、社会人になること
- 2014.10.31 Friday
- 23:43
私が自助グループに行き始めたのが縁で、細く長くおつきあいさせていただいている方がいます。
Yさんはアルコール依存症本人でも、医療や行政関係の方でもないのですが、地元のAAがまだスタートしたばかりで人手が足りない頃に、縁の下の力持ちとして尽力してくださった方です。
私がグループに参加して間もない頃も、盆や正月に行われる行事になると、Yさんがお友達と連れ立って会場にかけつけ、裏方のお仕事を手伝ってくださいました。
私がお世話になった年上のAAメンバーにTさんという方がいらっしゃるのですが、このYさんは、Tさんの古くからの知り合いでもあります。
私がYさんにお会いするときには、必ずと言っていいほど私たちの共通の知人であるTさんの話題になります。
この前もやはりTさんの話が出たのですが、Yさんが「まあねえ、最初はとてもびっくりしたんですよ。あんまりにも常識が無くて」と、呆れたような、感心したような口調でおっしゃいました。
20年以上前にさかのぼりますが、TさんはAAを立ち上げる前に、アルコール依存症の壮絶な体験を経て再起を志すまでの半生を個人誌にまとめて、知り合いの方に配っておられました。
その中に聖職者(カトリックの神父さん)がおられ、当時その神父さんの主宰する勉強会に通っていたYさんの手元に届いたのです。
Tさんの手記にいたく感動したYさんは、ぜひTさん本人に会いたいと思い、神父さんに頼んで紹介してもらったのでした。
ところが実際のTさんはというと、勉強会の最中であろうと、他人が話をしていようと、自分が眠たかったらおもむろに机に顔を伏せて寝てしまうし、中座するときもドアを手荒く扱ってドタンバタンと音を立てる。やおら窓のほうへ歩いていって外の様子を伺い、自分の席に戻ったかと思うと、またガタガタと騒々しく椅子をずらして立ちあがる。いったいどうしたのかと尋ねると「路上駐車をしているから、警察が来ないか気になるのだ」と言う。
頭の良さがにじみ出る文章からイメージしていた人物とは大違いです。「山から降りてきた野生児みたいだったんですよ」。私がTさんに出会った頃の様子とはまるで別人だったので、私はあっけにとられてしまいました。
ある日の勉強会の帰り道、Tさんのビニール傘の骨が折れてしまいました。近くにゴミ箱はありません。処分に困ったTさんは、ちょうど目の前の民家の軒先に傘立てを見つけ、壊れた傘を突っ込んで帰ろうとしたのです。
それまでTさんの挙動を受け流していたYさんも、とうとうたまりかねて、
「そんな振るまいじゃあ、生き方についてあなたがどんなに良いことを語ろうと、世間じゃ受け入れてもらえませんよ!」
と一喝。
Tさんはお酒を止めてしらふで過ごすようになったものの、それまで面と向かって注意してくれる人がいなかったのかもしれません。
Yさんのそのひとことが新鮮だったのか、以来、2人の間にはなんだか奇妙なギブ・アンド・テイクの関係が生まれたようでした。
やがてTさんはAAメンバーとして活動を始めます。YさんはAAのオープン・ミーティングに参加して12ステップ・プログラムを実践することで自分の人生を振り返るきっかけをつかみ、TさんはYさんから社会人としての常識やマナーを教えてもらったのでした。
私がAAミーティングに行き始めたころは、この2人の会話を聞いていて、まるでケンカをしているようだと思ったものです。そういういきさつがあったとは知りませんでした。
Tさんが飲まずにこの世を去って、この10月で5年が過ぎました。
今はYさんはAAを離れて、他のメンタルヘルス系の当事者グループのサポートをされています。
私も「依存症ではないけれども、心の病を抱えている方々」のお話に気づかされることが多いので、出しゃばらないように、季節の変わり目に1度ぐらいのペースで、Yさんのグループにお邪魔しています。
地元のAAグループも、今ではTさんのことを知らないメンバーが増えてきました。AAは特定の誰かを持ちあげたりしないのが信条なので、仲間の集まりとしてはそれが望ましい流れです。
しかし、私をはじめ他の多くの仲間にとって、Tさんは今でも大切な存在であることに変わりはありません。Tさんから頂いた言葉や学んだことを日々の生活に生かしながら、私なりの体験を新しいメンバーと共有していきたいです。
それにしても、世間のものさしからズレてしまわないように、グループ以外の人づきあいもバランスよく、ですね。今回のこぼれ話を聞いてつくづく感じました。
Yさんはアルコール依存症本人でも、医療や行政関係の方でもないのですが、地元のAAがまだスタートしたばかりで人手が足りない頃に、縁の下の力持ちとして尽力してくださった方です。
私がグループに参加して間もない頃も、盆や正月に行われる行事になると、Yさんがお友達と連れ立って会場にかけつけ、裏方のお仕事を手伝ってくださいました。
私がお世話になった年上のAAメンバーにTさんという方がいらっしゃるのですが、このYさんは、Tさんの古くからの知り合いでもあります。
私がYさんにお会いするときには、必ずと言っていいほど私たちの共通の知人であるTさんの話題になります。
この前もやはりTさんの話が出たのですが、Yさんが「まあねえ、最初はとてもびっくりしたんですよ。あんまりにも常識が無くて」と、呆れたような、感心したような口調でおっしゃいました。
20年以上前にさかのぼりますが、TさんはAAを立ち上げる前に、アルコール依存症の壮絶な体験を経て再起を志すまでの半生を個人誌にまとめて、知り合いの方に配っておられました。
その中に聖職者(カトリックの神父さん)がおられ、当時その神父さんの主宰する勉強会に通っていたYさんの手元に届いたのです。
Tさんの手記にいたく感動したYさんは、ぜひTさん本人に会いたいと思い、神父さんに頼んで紹介してもらったのでした。
ところが実際のTさんはというと、勉強会の最中であろうと、他人が話をしていようと、自分が眠たかったらおもむろに机に顔を伏せて寝てしまうし、中座するときもドアを手荒く扱ってドタンバタンと音を立てる。やおら窓のほうへ歩いていって外の様子を伺い、自分の席に戻ったかと思うと、またガタガタと騒々しく椅子をずらして立ちあがる。いったいどうしたのかと尋ねると「路上駐車をしているから、警察が来ないか気になるのだ」と言う。
頭の良さがにじみ出る文章からイメージしていた人物とは大違いです。「山から降りてきた野生児みたいだったんですよ」。私がTさんに出会った頃の様子とはまるで別人だったので、私はあっけにとられてしまいました。
ある日の勉強会の帰り道、Tさんのビニール傘の骨が折れてしまいました。近くにゴミ箱はありません。処分に困ったTさんは、ちょうど目の前の民家の軒先に傘立てを見つけ、壊れた傘を突っ込んで帰ろうとしたのです。
それまでTさんの挙動を受け流していたYさんも、とうとうたまりかねて、
「そんな振るまいじゃあ、生き方についてあなたがどんなに良いことを語ろうと、世間じゃ受け入れてもらえませんよ!」
と一喝。
Tさんはお酒を止めてしらふで過ごすようになったものの、それまで面と向かって注意してくれる人がいなかったのかもしれません。
Yさんのそのひとことが新鮮だったのか、以来、2人の間にはなんだか奇妙なギブ・アンド・テイクの関係が生まれたようでした。
やがてTさんはAAメンバーとして活動を始めます。YさんはAAのオープン・ミーティングに参加して12ステップ・プログラムを実践することで自分の人生を振り返るきっかけをつかみ、TさんはYさんから社会人としての常識やマナーを教えてもらったのでした。
私がAAミーティングに行き始めたころは、この2人の会話を聞いていて、まるでケンカをしているようだと思ったものです。そういういきさつがあったとは知りませんでした。
Tさんが飲まずにこの世を去って、この10月で5年が過ぎました。
今はYさんはAAを離れて、他のメンタルヘルス系の当事者グループのサポートをされています。
私も「依存症ではないけれども、心の病を抱えている方々」のお話に気づかされることが多いので、出しゃばらないように、季節の変わり目に1度ぐらいのペースで、Yさんのグループにお邪魔しています。
地元のAAグループも、今ではTさんのことを知らないメンバーが増えてきました。AAは特定の誰かを持ちあげたりしないのが信条なので、仲間の集まりとしてはそれが望ましい流れです。
しかし、私をはじめ他の多くの仲間にとって、Tさんは今でも大切な存在であることに変わりはありません。Tさんから頂いた言葉や学んだことを日々の生活に生かしながら、私なりの体験を新しいメンバーと共有していきたいです。
それにしても、世間のものさしからズレてしまわないように、グループ以外の人づきあいもバランスよく、ですね。今回のこぼれ話を聞いてつくづく感じました。
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