故人を偲んで

  • 2013.08.22 Thursday
  • 09:46
私がミーティングに通い始めてからずっと、なにかとお世話になった年上のメンバーがいました。
Tさんは毒舌で愛想がなくて、私には「ワシは摂食障害のことはさっぱり分からんぞ!」と予防線を張っていましたが、人間関係のあれこれから生き方の問題まで、相談に伺ったときには自分の体験を交えつつ、しっかり受け止めて返してくれていました。

Tさんがあの世に旅立ってからすでに4年近く。お墓参りをするほどのおつきあいでもなかったのですが、今年のお盆はなぜかTさんのことが心に浮かびました。10年ぐらい前にご本人から「余っとるけえ、あげるわ」と1冊のファイルを頂いたことを思い出し(結局これが形見になったのですが)、お盆休みにあらためて読み返してみました。

ファイルには両面印刷の資料が50枚近くつづられています。Tさん自らが編集した個人誌です。ときは昭和の終わりから平成にかけての数年間。Tさんはお酒を止めて1年ちょっと経っていて、年の頃は今の私と同じぐらいです。

誌面はTさんのエッセイをメインに、アルコール依存の症状がいよいよひどくなって入退院を繰り返していた頃の日記の再録、一緒に過ごした患者さんとのエピソード(数年以内に亡くなった方の多いこと。それも変死、孤独死…)、当時交流のあった友人、知人の皆さんからの投稿、かつての主治医やTさんのご家族の手記(とうぜんご本人にとってバツの悪いことも書いてある)などが毎号掲載されています。たかだか1枚のプリントと言うなかれ、ずっしりと読みごたえがあります。体裁も印刷業者に依頼した本格的な作りでした。Tさんがもう一世代あとに生まれていたら、きっと手の込んだ個人のウェブサイトを作り上げていたことでしょう。

Tさんの文章からは、自分の生き方、人生の師を求めて奔走する姿や気迫がひしひしと伝わってきました。まさに求道者という表現がぴったりです。人の縁をたどり、お坊さんに神父さん、クリスチャン、仏教の研究者、哲学者、勉強会、被爆体験の語り部の方や、はたまた農業、食事療法、代替療法(!)に携わる人まで、何かに突き動かされているかのように、たくさんの人のもとを訪ねています。その様子は鬼気迫るものが感じられます。もう、押しかけていると言った方が良いかもしれません(そういえば、食い下がるTさんに根をあげた聖職者の方もいらっしゃったと、知り合いの方から伺ったこともありました)。

連続飲酒で苦しんでいる人や家族が助けを求めてくれば、夜遅くでも車を走らせて話を聞きに行ったり、入院患者さんに手紙を書いてよこしたり。「瀬戸内海の小島にアルコール依存症の人たちのためのリハビリ施設を作ろう!そのためには移動が大変だから、ボートが必要だ!」と、モーターボートの免許を本気で取りに行こうとしていました。読んでいてかなりはらはらします。

この個人誌もそうした数々の出会いの中で、仏教関係の方から提案されて始めたもので、毎月発行しては、ゆかりのある方に無償で配っていたようです。やがてその頃所属していた自助グループを離れて地元でAAを始めた頃から、編集者が他の人に代わっていました。フルネームも病歴も明かし、「今はお酒を止めてこのような活動をしています。新しい生き方を模索しています」とアピールしていた初期の頃に比べて、内容も個人誌から同人誌に近いものになっていました。AAの広報の方針に配慮したのでしょう。平成4年を最後に休刊となったようでした。

私が出会った頃は、個人誌をせっせと執筆していた頃のイケイケドンドンな雰囲気はなくなっていて、「来る者拒まず、去るもの追わず」と、どっしりと構えていました。でも、ふとしたときの眼光はとっても鋭かったです。

TさんがAAを知ったのは、入院中に(どうも東京の方から流れてきたらしい)患者さんからビッグブックを譲り受けたのがきっかけだと聞いています。
その頃はまだ地元にミーティング会場がなかったので、しばらくは他の自助グループに所属していました。個人誌につづられていたように、すでにAA以外の人や場所にも積極的に関わっていたので、特定のメンバーとスポンサーシップをとって、生き方の棚卸しをして、といったような”オーソドックスな”AAの12ステップ・プログラムを実践した方ではありませんでした。もちろん、おたがいに励まし合うメンバーはいたはずですが。そのため、他の地域の「AA歴」の長いベテランメンバーの中には「本来のプログラムのやり方ではない」と、Tさんに批判的な人もいました。

元来たいへん気性の激しい方でしたので、とくに同年代の方とは衝突することも多かったようです。どうにもTさんと合い入れなくてグループを別に立ち上げたメンバーもいました。あるイベントで私が居合わせたことですが、昨晩までTさんと談笑していた人が、布団もろくにたたまずに会場からこつぜんと消えたこともありました。Tさんの一言に腹を立てて帰ってしまったのです。それきりミーティングにも来なくなってしまいました。

私とは親子ぐらいの年齢差があったので、それが幸いしたのかもしれません。私も途中からは遠慮なく安心してズケズケと物を言うようになりました。自分の父親よりもずっと気を許していたように思います。

以前、あるメンバーが「出会いが無ければ、回復もくそもありゃしません」と言っていました。私にとって回復のきっかけを与えてくれたのは、Tさんとの出会いでした。やがてそのTさんの向こう側にあるもの、自分よりも大きな力、人智を超えた何かの存在を信じるようになるのですが、そこに至るステップとして、自分がリスペクトできる年上の大人にめぐり会えたことが、思春期から心の成長が止まっていた私にとって、なによりの幸運であり、救いだったと感じます。

Tさんは末期ガンに罹っていると判明してからも、あえて入院はせず、いつも通りに生活することを選びました。ベテランメンバーのおっしゃるような「本来のプログラムのやり方」で生き残ったのではないのかもしれませんが、ともあれアルコール依存から生還したTさんは、いつも通りにミーティングに行き、平日の朝はオフィスに立ち寄って、そこに集った親しいメンバーと一緒にAAの本の読み合わせと体験の分かち合いを続けていました。倒れた最後の日も。

ああでもない、こうでもないと物事を分析していると「解釈しようとするな、いっぺん死ね」というTさんの声が聞こえてきそうです。私はTさんの行動力には叶わないし、それこそ張り合う必要もなく、私なりの人との関わり方や生き方があるのでしょう。最近ちょいと八方塞がりの感があるのですが、出口はあると信じて、今日一日できることをやっていこうと思います。

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