やりたいお仕事
- 2013.07.29 Monday
- 23:24
ちょっと前ですが、あるお店に夫と食事に行った時のことです。
用事を済ませて帰る途中に、ふいに夫が「昔、○○で働いていた頃によく行ってたラーメン屋さんの話、覚えとる?この近くにあるんじゃけど、寄っていく?」と言い出しました。帰宅してご飯を作るにもおっくうな時間だったし、同じ市内でもめったに行かないエリアだったので二つ返事でついて行きました。
さほど広くないお店でしたが、平日にもかかわらずお客さんがよく入っていました。夜も9時を過ぎていたので、ちびちびと晩酌を楽しんでいる人もいます。厨房では女将さんがひとりで切り盛りしていました。夫の話から察するに、ざっと20年はお店を続けているようです。昔ながらの懐かしい味のするラーメンでした。夫もうなずきながらスープを飲んでいました。
夫がカウンター越しに世間話をするうちに女将さんも夫のことを思い出したようです。「久しぶりに食べたけど、この味じゃね、おいしいね」と夫が言うと、女将さんは打ちとけた様子で「ありがとね。でもね、あたし、ラーメンは嫌いなのよ」とサバサバした口調で答えました。私は思わず女将さんを見上げました。「ギョーザは、まあまあ好きになったんだけどねえ。ラーメンはねえ、好きになろうと思っていろいろやったんだけど、ダメだったわね」とたたみかけてきます。たまに取材の人が来ても、つい言っちゃうのよ。向こうもビックリして、女将さんそんなこと言わないほうが良いですよなんて言われるんだけど、しょうがないじゃない、嫌いなものは嫌いなんだから。ウソついたって仕方ないでしょう?
ここの女将さんはラーメンが嫌いなので、当然ながら最初からラーメン屋さんを志していたわけではありません。いわば成り行きでお店の手伝いをしていたようです。それから色々あって、このお店を引き継いでいるのでした。かれこれ、お一人になってからのほうが長いみたいです。
「ほら、ラーメンが好きな人って、研究熱心だから味を変えていくじゃない?私はそういうのはできないから、教えてもらった通りのことをしてるだけなのよ。でもそれが良かったのかもって思うのよね」
でもね、嫌いだと仰りながらも、美味しかったんですよ。私はラーメンのことは詳しくないけど、ていねいに作られているのは分かったし、お店のなかも古いなりにきれいにしてあるし。ほろ酔いのお客さんにも、夫みたいに十何年ぶりかにひょっこり来店した客にも、それぞれに合わせて相手をするし。今さらなのですが「仕事をする、お金をかせぐって、こういうことなんだ」と感じました。
「俺はミュージシャンを目指してるんだ、こんなところでくすぶっていられるか」というコンビニのバイト君でも(広島あたりでは少ないと思うけど)、「彼女に花束をプレゼントするのね。こっちはケンカしたばかりなのに、いいなあ」という花屋のお姉さんでも、私情をおくびにも出さず、笑顔で対応するのがプロとして仕事をすることなのだと思います。
ずいぶん前に、機嫌のよしあしでダンドリの指示が変わるという先輩とご一緒した時期がありましたが、それはプロではありません。そして、「私のしたい仕事はこんなことじゃないのに」と思いながら目の前の仕事を割り切ってこなせなかった私も、プロではありませんでした。
就職する前から「これがやりたい」というものがあるとか、心から誠実に取り組めて、感謝の気持ちが持てて、人の役に立っているという実感が「最初から」持てる仕事にめぐりあえる人なんて、そう多くはいないんじゃないかと思います。めぐりあえた人はそれだけでラッキーではないでしょうか。
やるべきことは責任をもってやる。心底やりたかったことじゃなかったぶん、度を越した期待も欲求もない。だから、思いがけず人から感謝されたり、誰かの役に立てたときに、まんざら捨てたものじゃないかも?という満足や達成感がふっとわいてくる。あの女将さんだって、きっとそういう経験があったはずです。だからあんなに長くお店を続けていられるのだと思います。
私は、数年前まで勤めていた仕事のことを、心から好きになることは最後までできませんでした。一日のうち大半の時間を費やすのですから、好きになろうと努力はしてみましたが。でも、心底好きなことじゃなくても十数年は続けてこれたことは(迷惑もたくさんかけましたけど)自信になっているし、いまプライベートで関わっているグループのお手伝いでも、他のメンバーから頼まれることって、そのお仕事で身につけたことだったりします。
仕事に限らず、とりかかる前から「本当に」したいことなのか、とか「やりがいのあるものがいい」なんて深刻に考えずに、今の自分ができることからやってみよう、ぐらいのノリでいいんじゃないかと実感しています。もっと若い時に気がつけばよかったなあ。
これを書いていたら、またあのラーメンが食べたくなってきました。早く腰痛が治らないかしら。
用事を済ませて帰る途中に、ふいに夫が「昔、○○で働いていた頃によく行ってたラーメン屋さんの話、覚えとる?この近くにあるんじゃけど、寄っていく?」と言い出しました。帰宅してご飯を作るにもおっくうな時間だったし、同じ市内でもめったに行かないエリアだったので二つ返事でついて行きました。
さほど広くないお店でしたが、平日にもかかわらずお客さんがよく入っていました。夜も9時を過ぎていたので、ちびちびと晩酌を楽しんでいる人もいます。厨房では女将さんがひとりで切り盛りしていました。夫の話から察するに、ざっと20年はお店を続けているようです。昔ながらの懐かしい味のするラーメンでした。夫もうなずきながらスープを飲んでいました。
夫がカウンター越しに世間話をするうちに女将さんも夫のことを思い出したようです。「久しぶりに食べたけど、この味じゃね、おいしいね」と夫が言うと、女将さんは打ちとけた様子で「ありがとね。でもね、あたし、ラーメンは嫌いなのよ」とサバサバした口調で答えました。私は思わず女将さんを見上げました。「ギョーザは、まあまあ好きになったんだけどねえ。ラーメンはねえ、好きになろうと思っていろいろやったんだけど、ダメだったわね」とたたみかけてきます。たまに取材の人が来ても、つい言っちゃうのよ。向こうもビックリして、女将さんそんなこと言わないほうが良いですよなんて言われるんだけど、しょうがないじゃない、嫌いなものは嫌いなんだから。ウソついたって仕方ないでしょう?
ここの女将さんはラーメンが嫌いなので、当然ながら最初からラーメン屋さんを志していたわけではありません。いわば成り行きでお店の手伝いをしていたようです。それから色々あって、このお店を引き継いでいるのでした。かれこれ、お一人になってからのほうが長いみたいです。
「ほら、ラーメンが好きな人って、研究熱心だから味を変えていくじゃない?私はそういうのはできないから、教えてもらった通りのことをしてるだけなのよ。でもそれが良かったのかもって思うのよね」
でもね、嫌いだと仰りながらも、美味しかったんですよ。私はラーメンのことは詳しくないけど、ていねいに作られているのは分かったし、お店のなかも古いなりにきれいにしてあるし。ほろ酔いのお客さんにも、夫みたいに十何年ぶりかにひょっこり来店した客にも、それぞれに合わせて相手をするし。今さらなのですが「仕事をする、お金をかせぐって、こういうことなんだ」と感じました。
「俺はミュージシャンを目指してるんだ、こんなところでくすぶっていられるか」というコンビニのバイト君でも(広島あたりでは少ないと思うけど)、「彼女に花束をプレゼントするのね。こっちはケンカしたばかりなのに、いいなあ」という花屋のお姉さんでも、私情をおくびにも出さず、笑顔で対応するのがプロとして仕事をすることなのだと思います。
ずいぶん前に、機嫌のよしあしでダンドリの指示が変わるという先輩とご一緒した時期がありましたが、それはプロではありません。そして、「私のしたい仕事はこんなことじゃないのに」と思いながら目の前の仕事を割り切ってこなせなかった私も、プロではありませんでした。
就職する前から「これがやりたい」というものがあるとか、心から誠実に取り組めて、感謝の気持ちが持てて、人の役に立っているという実感が「最初から」持てる仕事にめぐりあえる人なんて、そう多くはいないんじゃないかと思います。めぐりあえた人はそれだけでラッキーではないでしょうか。
やるべきことは責任をもってやる。心底やりたかったことじゃなかったぶん、度を越した期待も欲求もない。だから、思いがけず人から感謝されたり、誰かの役に立てたときに、まんざら捨てたものじゃないかも?という満足や達成感がふっとわいてくる。あの女将さんだって、きっとそういう経験があったはずです。だからあんなに長くお店を続けていられるのだと思います。
私は、数年前まで勤めていた仕事のことを、心から好きになることは最後までできませんでした。一日のうち大半の時間を費やすのですから、好きになろうと努力はしてみましたが。でも、心底好きなことじゃなくても十数年は続けてこれたことは(迷惑もたくさんかけましたけど)自信になっているし、いまプライベートで関わっているグループのお手伝いでも、他のメンバーから頼まれることって、そのお仕事で身につけたことだったりします。
仕事に限らず、とりかかる前から「本当に」したいことなのか、とか「やりがいのあるものがいい」なんて深刻に考えずに、今の自分ができることからやってみよう、ぐらいのノリでいいんじゃないかと実感しています。もっと若い時に気がつけばよかったなあ。
これを書いていたら、またあのラーメンが食べたくなってきました。早く腰痛が治らないかしら。
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