一人旅、ふたり旅

  • 2008.04.11 Friday
  • 00:17
20代の頃、「青春18きっぷ」を使って、よく旅行をしていました。

もともと好きなバンドのコンサートのために県外へ行くことが多かったのですが、いつしか電車の旅そのものが気に入ってしまい、コンサートの時以外でも、思い立ったらふらりと出かけるようになりました。CDをたくさん持ち込んで(当時はMDプレーヤーもiPodも無かった)、自分のお気に入りの音楽を聴きながら、景色をぼんやりと眺めるのが大好きだったのです。一人でよそへ移動することで、何かが自分をひとりでに変えてくれるような心地がしていたようにも思います。

近頃は海外にも行きますが、これはダンナの影響が大きいです。さすがに海外で一人旅をするほど勇気がありませんでしたから、相方に出会わなければ一生縁が無かったのではないでしょうか。

相方と、というか他人と旅行をしてみて、そして何より海外のミーティングに参加してみて、一人旅では味わえなかった経験をしました。ケンカはもちろんですが、カタコトで現地の人に話しかけたおかげでガイドブックに載っていないお店を教えてもらったり、裏道を探検して、穴場や思わぬ掘り出し物を見つけたり、つたない英語でメンバーと挨拶をしたり。相方は日頃から物怖じしない性格で、出会った人とすぐに仲良くなれるという才能がありますので、私もずいぶん助けられました。

行く先々での出逢いを楽しむ一人旅の人だってたくさんいるでしょう。でも、昔の私の一人旅は「何かに、誰かに、変わるきっかけを与えて欲しい」と思っていながら、一方では「ほっておいてほしい」という気持ちを抱えていました。「とりあえず誰かに話しかけてみよう」という行動を起こそうとか、そういう発想は全くありませんでした。

海外旅行に行って、自分から挨拶をしたり、声をかけるという行動が重要なのだということを学びました。でもそれは日本で、日本人どうしのお付き合いでも大切なことなんですよね。そういった態度を忘れないようにしようと思っています。

タイ人にタイ語が通じた話(つづき)

  • 2008.04.10 Thursday
  • 02:59
場内アナウンスに負けないように、ダンナが観客の頭越しに「ブアカーオ!」と名前を何度か叫びました。そして、ブアカーオがこちらを振り向いた瞬間、私が

「チャイヨー!」と叫びました。

ブアカーオは、聞き取れなかったのか、それとも「こんな所でタイ語が出るわけがないんだけど」と思ったのか、うん?というような顔をしました。

もう一度私が「チャイヨー!」と叫ぶと、今度はびっくりしたような表情をした後に、微笑んでくれました。すかさずダンナが「サバイディー?」(元気?調子どう?)と叫ぶと、なんと、ニコッと笑いながら親指をグッと立てて応えてくれたのです。その笑顔の爽やかなこと!

ひゃーーーー!!

チャイヨーとは、バンザイ!の意味です。本当は「スゥー」(ガンバレ)と言いたかったのだけど、発音やイントネーションに自信がなかったので、慣れた単語を使いました。

今までの私だったらタイミングを逃していたでしょう。とっさに言えるようになったのは、タイ旅行と、現地の英語ミーティングに参加した(数少ない)経験のおかげです。

タイ語は、タイに行った時でもレストランや買い物ぐらいしか使ったことがなくて、一般の人達とはまだまだ会話ができるレベルではないので、通じたのがすごくうれしかったです。それもブアカーオにですよ!(T^T)うるうる。

リング上のブアカーオは、テレビで見る以上に厳しい、気合いの入った表情をしていました(双眼鏡で確認)。結果は、見事勝利!元々好きな選手だったけど、今回は格別にうれしかったです。是非この調子で勝ち進んで欲しいです。

タイ語をもっと勉強して、次の旅行の時はどんどん話そうと思いました。私の目標はタイ語ミーティングに参加して、タイの仲間と分かち合いをすることです(道のりは遠い…)。

それでは、サワッディー・カー。

タイ人にタイ語が通じた話

  • 2008.04.10 Thursday
  • 02:43
K−1が広島で開催されました。魔裂斗さんが参戦する、あれです。

格闘技好きの私と相方としては「そりゃあ、せっかくだから見に行こう!」という話になったのですが、なにせチケットが高い!!結局、一番安い、スタンド席にしました(それでも1枚6000円なり)。

座ってみたらリングはやはり遠い。試合前、出場選手全員入場のアナウンスがあっても、「いいなあアリーナの人は」ぐらいにしか思いませんでした。

しかし、選手の名前がコールがされても、一向に選手たちがリングに現れる気配がありません。そのうちに私たちの周囲が、にわかにザワザワし始めました。お客さん達が次々と前へ駆け寄って行きます。

ダンナが立ち上がって、「あ、魔裂斗がこっちに来よる!」と叫びました。

選手たちはすぐにリングに上がらずに、二手に別れてスタンド席の通路を歩いて来ていたのです。そして私達の側には、なんと、魔裂斗と、少し距離を置いてブアカーオがやって来ました。ラッキーなことに二人はちょうど私達の席の前方で立ち止まって、みんなのカメラ撮影や握手に応えています。左を向けば魔裂斗、右を見ればブアカーオ。予想もしていなかった事態に、うれしいというよりかは驚きでいっぱいでした。

魔裂斗さんの笑顔も素敵でしたが、タイ大好きな私としてはブアカーオの近くに行かないことには心残りです。私はダンナに声をかけて、そそくさと移動しました。ブアカーオに握手を求めるファンも一段落着いたようで、すぐに近くまで行く事が出来ました。
(つづく)

動機は反抗心から

  • 2008.04.02 Wednesday
  • 23:32
私が小学生の頃、父が突然英語の勉強を始めました。東南アジアの人達と仕事をしなければいけないとかで、職場の研修を受ける事になったようです。

ある日、父が私にこう尋ねました。「指は英語で何て言うか、知っとるか?」
「フィンガー。」と答えた私に、さらに父は「じゃあ親指は?」と聞き返します。
当時11歳の私はさすがに分からず、口ごもってしまいました。そんな私を見て、父はニヤッと笑って「なんだ、それぐらいも分からんのか」と言ったのです。

一部始終を見ていた母は、私と二人きりになった時に「お父さんも嫌な人ねえ。小学生だからまだ英語なんか習っていないのに、分かるわけないじゃない。」とこぼしました。

昭和ひとケタ生まれで欧米人を蔑称で呼ぶような人間が、40歳にして英語を習わなくてはいけないハメになったのですから、ストレスはあまりあるものだったでしょう。しかし、子どもには親の都合なんて分かりません。ただでさえ、一度出勤したら何ヶ月も戻ってこない父親は、私にとって得体の知れない存在でしたし、たまに帰ってくればこんなイヤミを言うしで、私の中には父親に対する反抗心がムラムラと育っていったのでした。

そんな折、近所の友達が英語教室に行き始めたことを知り、母に頼みこんで私も通わせてもらうことにしました。
そこで良い先生に恵まれ、中学生の時には市主催の暗誦大会で入賞することができました。その報告依頼、父はパッタリと私の前で英語の話をしなくなりました。

今でも英語は大好きです。海外のミーティングに行っても少しは話せるし、私にとっては数少ない特技だと思っています。

しかし、反抗心をベースに乗りきってきたという実績がどうもアダになっているようで、たとえば、自分がやる気になるより前に「この本を読め」などと頭ごなしに言われると「何で人に言われて、読まないといけんのよ」とついつい思ってしまいます。

ある年上の仲間は「最初はAAの本なんか読まんでもええ。行動もせんと、講釈ばっかり垂れるようになる。」とミーティングで言い放ちました。

結果、私がせっせと読み進めたのは言うまでもありません。早い話、その仲間が私よりうわてだったわけです。

今一番とばっちりを受けているのは、うちのダンナでしょう。この前「あなたねえ、僕がこの先ずーっとお酒を飲まないでいるって思ってない?!」と言われてしまいました。

すんません。

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