花吹雪

  • 2008.03.31 Monday
  • 10:36
先日来、平和公園や駅周辺で、外国からの観光客をよく見かけるようになりました。オフシーズンのため費用が安いのに加えて、桜を目当てにやってきたようでもあります。

広島でも開花宣言はされたのですが、その後はなかなか暖かくならず、ほとんどの桜はつぼみのままで、見ごろは今週末あたりになりそうです。

ラジオの音楽番組では、「桜」にちなんだ曲がひんぱんにかかっています。さくら、桜、桜の○○…と、ここ数年「桜」という言葉をタイトルに入れた歌が一気に増えたような気がします。

さて、私がこの時期に毎年聴きたくなるのがイエローモンキーの「花吹雪」という歌です。もう12年も前に発売されたアルバムに収録されているものです。

巷で流行っている「桜モノ」の歌は、別れのせつなさや思い出を歌っていても、全体を包んでいるのは爽やかな雰囲気です。

ところが「花吹雪」の方は、歌詞の中に「希望も悩みも忘れる」「病い重い想い」「幻覚を見てたような毎日」などなど、かなりひねくれた表現がちりばめられています。目に浮かぶ場景も、雨上がりのどんよりとした曇り空や、アスファルトの上に散り落ちて、少し汚れてしまった桜の花びらのイメージが浮かびます。

でも、そんな歌詞が私は大好きなのです。

晴れの日も爽やかな朝もいいけど、すっきりしない天気やはっきりしない自分の気持ちを受け入れながら生活していくのも悪くはない、と今は思っています。

成り行きなグループ

  • 2008.03.28 Friday
  • 00:59
私たちのホームグループのミーティングが始まったのは、'90年代末のことです。

現在も私たちは、スタートした時と同じ会場でミーティングを行っています。
こちらの公共施設は、グループが誕生する前から、地区集会や地域集会を開いたり、資料を印刷するために利用していました。
「ミーティング会場を増やしたい」という思いと、「毎週利用していれば印刷室や会議室を借りる時に融通してもらえるかも」という思惑があいまって、新グループ誕生となったわけです。

施設で申込手続きを済ませた仲間たちが「グループの名前は何がいいかねえ」と話しながら路地を歩いていたところ、ある仲間が何かひらめいたらしく、目の前の店の看板を指差しました。「おー、あれがエエ。」

「カラオケ喫茶 スマイル」

私たちのスマイルグループの由来です。

グループ誕生の経緯が現在の雰囲気に影響しているのかわかりませんが、集まったメンバーは、ミーティングが始まる前や終わった後に、まったりと雑談を楽しんでいます。この「くだけ具合」はおそらく県内一ではないかと思います(別にいばるものではありませんが)。

私個人としては、学生の頃からニコちゃんマークが大好きだったので、私はこのスマイルグループに「導かれた」と勝手に思っています。

いま、仲間の1年のバースデー色紙を作っています。もちろん、ニコちゃんマークも忘れずに描きました。

こじんまりとしたホームグループですが、バースデーの色紙を作っていると、ほんわかと嬉しくなります。ハイヤーパワーは時々意地悪だけど、分かち合いや仲間のことを思い出して、スマイルで乗り越えたり受け流したりして生きていきたいです。

お酒のコマーシャル

  • 2008.03.16 Sunday
  • 07:41
私は自他共に認める「テレビっ子」だったのですが、これまでに印象に残っているコマーシャルは、なぜかお酒のコマーシャル(それもウィスキー)が多いのです。

高見山が、あんなに大きい体に似合わずタップダンスを上手に踊っていたり、

黒人の男性が(とても有名な方らしいのですが)アカペラを軽快に歌いながらグラスにウィスキーを注ぐのですが、その「コンコンコンコン…」音がとても美味しそうだったりとか(何年か前に、あややちゃんが紅茶のコマーシャルで歌ってましたね)、

アルチュール・ランボーの伝記や詩集を読むきっかけも、ウィスキーのコマーシャルでした。
こうして思うに、子どもの時から飲み助になる素質は十分にあったのかもしれません。

もう10年近く前のこと、テレビではありませんが、新聞に(これまた)ウィスキーの全面広告が載っていました。
インタビューと共に商品の紹介をするという体裁のもので、インタビューに答えていたのはエッセイや日本の文化研究を生業とする女性でした。テレビにも時々出ていて、芸能人でもないのにいつも和服を着て登場していたので、私も見覚えがありました。

記事によれば、その女性はウィスキーの「あて」に漬物の「つゆ」をちびちび頂くのだそうで、野菜や昆布の「和」の旨味が「洋」のウィスキーにとても合うのだ…という彼女のうんちくと、それを受けたライターの「さすが彼女の職業柄だけあって、あての選び方も粋だ」と言ったようなコメントが載っていました。

当時の私は、食欲と過食嘔吐とウツで断末魔の状態でしたから、「漬物のつゆだけで持つのかー、うらやましいなー」としか思いませんでした。

数年後、その女性の訃報を新聞で知りました。記事によると、死因は咽頭がんだったそうです。彼女が研究していた事は大変密度の濃いものだったようで、「彼女の死によって貴重なハードディスクを失くしてしまったようなものだ」という追悼文が寄せられていました。
記事に掲載されていた享年を見て、とてもお若かったのでびっくりしました。もちろん、病気とお酒の飲み方との因果関係は分からないし、滅多なことは言えないのですが、粋な飲み方って言うのも、美味しく元気に飲めているうちなのかもしれないなとも思いました。

チューハイのコマーシャルに比べて、ウィスキーのコマーシャルは色々と趣向がこらされているものが多いような気がします。そうやって、面白いなと思いながら見られる余裕が出てきました。

サントリーオールドのBGMは名曲ですよね。

予定通りにいかないこと

  • 2008.03.10 Monday
  • 17:10
かつての私は、食べ物のカロリー表示が異常に気になっていました。陳列台からパンの袋を取っておもむろにひっくり返し、「これ1袋で350キロカロリーか…」。そして、一日の食事を何キロカロリー以内に抑えないといけないから、晩はこれだけにしよう…といった具合です。

当たり前ですが私達は一人で食生活を送っているわけではなく、社会生活の中で、食べたり飲んだりしています。カロリーを気にかけている時、「来週の金曜日に飲み会がある」とあらかじめ分かっていれば、それまでに調整をします。そして、急に気の合う友人や職場の同僚から「今晩、ちょっと食事にでも行かない?」と誘われた時でも、相手が自分に声をかけてくれた事をうれしく思い、その時間を楽しみます。その結果、その日一日のカロリーが自分の決めた数値を超えても、翌日以降から調整すればいいわけです。多くの人は、それができます。

間違っても、
カロリーを超えてしまうからと誘いを断ったり、
予定外の食事カロリー分を吐いて帳尻を合わせたり、
どうして急に誘うのよ、あらかじめ言っておかない相手が悪いのよ、とか

そんなことは思いもつきません。食べ方に問題がない人であれば。

カロリー計算そのものが悪いと言いたいのではありません。カロリー計算に囚われた揚げ句、食べ物が味や色ではなく数字にしか見えなくなって、数字にしか見えないから、一体私は何を食べたいのか、自分の欲求が分からなくなってしまった私は、どこかで物の考え方が狂っていたのです。

予定外の出来事が起こった時に、自分の人生の計画を乱されたように感じるのは、食べ物に限ったことではありませんでした。

ある用件が時間通りに進まなかったとする。でも私には次の予定がある。私は計画通りじゃないと気が済まないから、私の予定を優先しよう。だって、予定通りにしない相手が悪いんだから。
…世間では、そういうのを「無責任」といいます。

世の中も、人付き合いも、計画通りに行く事のほうが少ない。大事なのは、計画通りに行かなかった時に、今までの積み重ねを自分からゼロにしたり、相手を非難しないことです。でもこれって、他人から言われても分からないんですよね。

「私は人の役に立ちたい。ただし私の予定通りに、私のしたい時に、したい事を」
なんて事にならないように、これからも気をつけたいです。

人それぞれ

  • 2008.03.07 Friday
  • 23:15
ミーティングに行き始めて間もない頃、メンバーの話で、ものすごーく違和感を覚えた事があります。

ステップ4だの5だのに非常にこだわる。棚卸しとやらをスポンサーなる人と済ませたら、まるで免許皆伝でも受けたかのように得意気にしているのです。

…そういう風に、ひねくれて受け取ってしまっていたんですけどね。

当時は、父親の飲酒に対しても恨みつらみがありましたから、

「お酒だけが問題じゃない、生き方の問題だなんて言っときながら、たかだか一回棚卸しをしただけで、何をうれしげに言ってんのさ。」

と、腹の中で思っていました。

さて、私も40代がジワジワと近づいて参りました。私のダンナが、お酒にギブアップしたのが40の頃だそうですから、これから私と同年代の人達が、ぼちぼちつながってくるのかもしれません。

私は過食嘔吐と親へのわだかまりのおかげで、思春期のまま自分で心の時間を止めてしまいました。仕事はそれなりに続けましたが、幸いにも人を引きずり落としたり、出し抜いたりするような世界ではありませんでした。

語弊があるようですが、私は他人に対して抱えた荷物が、親のことだけで良かったと、今は思っています。

最近、おじさま達の回復って、私が思っていた以上に難しいことなんじゃないか、と感じています。どんな男性にだってメンツはあるし、お金や肩書きになることしかやらない男性は、いっぱいいますから。そういう人生を何十年もやってきて、足を踏んだり踏まれたりしてきたところへ、「ステイタスばかりが人生じゃないさ」と気付く人がどれくらいいるでしょうか。

そう気づいてからは、少々理屈っぽい話であろうが、4、5、ヨンゴーと言われようが、落ち着いて聞けるようになりました。

どっちみち、人生はそれぞれ続いて行くんですもんね。

快適じゃないけど快適

  • 2008.03.06 Thursday
  • 13:00
タイの離島に旅行した時のことです。

そこそこのホテルやレストランで過ごしている時は感じないのですが、ひとたび街に出て、地元の人が利用するような店をぶらつくと、色んな発見があります。

まず、道はホコリっぽかったり、水たまりがあったりするので、安いサンダルで歩きます。蚊よけ薬を足に塗るのは必須。

路肩が所々砕けていますが(車が乗り上げたか?)一応車道との見分けはつくので放置。

電柱に取り付けられた標識が一度外れたらしく、頑丈に釘で補強されていますが、絵と文字が180度逆さになっています。まあ、意味は分かります。

外貨の両替店では、女の子がずーっとケータイで喋りながら応対してくれました。おつりは間違ってませんでしたが。

安いレストランで食事をした時は、定食にフォークが2本添えられていたり、お勘定をお願いするとすっかり忘れられて待たされたりします。こういう時は自分からカウンターに行って用事を済ませた方が得策です。

トイレの水洗ボタンのキャップが取れたままです。でも指を突っ込んで押せば流れるので、問題ありません。

焼鳥の屋台では、下焼きされた串が並んでいますが、屋外なので蝿が止まります。でも注文した串を、仕上げに焼いて消毒してもらえるから大丈夫。
食堂でも、食事中に蝿が飛んできたら、片手で払いながら頂きます。

「公衆トイレでは除菌クリーナーか必要」とか、物事が予定通りに進まないとイヤ、という方には決してオススメできませんが、ツアーでは体験できない面白さを味わえます。少々のことがあっても、「ああまたか、やっぱり」と受け流し、「では自分で予防できたり、対応できることは何か」を考える力が身につきます。

もちろん、私だって、悪臭が無くて清潔でサービスの行き届いた日本は快適だと思います。でも「キレイで当たり前、やってくれて当たり前、なぜ、こうならないんだ!」だと思っていると、自分も相手も窮屈だと気付きました。

「ありゃまあ、しょうがないなあ。」の気持ちは、人づきあいの上でも大事かもしれません。

リセット癖

  • 2008.03.06 Thursday
  • 03:03
今になって分かることですが、「白か黒か」という考え方は、過食嘔吐が始まるずっと前から、私の中にありました。

ダイエットも、自分の努力がカロリーや体重で明らかになるから、楽しいはず…のものでした。

過食嘔吐も、好きなだけ食べて飲んで吐く楽しみを、私はずっと持ちつづけられるはずでした。

ところで、私の両親は、私の人生にとやかく口出しをしたことはありません。父親は"昔人間"でしたので、口出しをする、しない以前に母親に任せきりでしたし、母親も私に対して"条件付き"で接するようなことはありませんでした。だから、きっと性分なんだと思います。

仕事やプライベートで接する人たちに対して、「いま私に笑いかけてくれる人が、私が夜な夜なトイレでゲロまみれになっていることを知ったら、どう思うだろう?」という恐れが頭をよぎることもありましたが、すぐに「でも秘密って楽しいじゃない。ばれなきゃ良いんだから。」というささやきに掻き消されました。

こんな私でも、ミーティングに「つながり」続けていられて、「グレーでもいいんだ」「100パーセントじゃなくてもいいんだ」と思えるようになり、他人に対しても「なーんか、色んなメンバーが居るなー」と少しずつ受け流せるようになりました。

これからも、良い時も悪い時も「良い加減」で生き抜く力を身につけたいです。

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