英語ミーティングふたたび

  • 2007.08.28 Tuesday
  • 19:09
今回の旅行でも、英語ミーティングに夫婦で2回ほど参加しました。

私は相変わらず十分に聞き取れず、笑いについていけず。自分の話も時制や複数形冠詞前置詞等々、はちゃめちゃでした。でもなんとか通じたみたいです。

アジアで少人数ながら(でも私たちのホームグループと同じぐらい)ミーティングを続けているだけあって、静かな熱意を感じました。プーケットの時もそうでしたが、たとえ人数が少なくても、プログラムをシンプルに実践し、仲間とのフェローシップや会場を守り続けることがが大切なんだと気付かされます。

余談だけど、もともと肌の白い、ヨーロッパ系の方々が日焼けして真っ黒になっていて、「やっぱり焼けるんだ!」と思いました。

来年の夏にまた会いに行きたいです。

36の手習い

  • 2007.08.23 Thursday
  • 23:48
お盆休みにタイへ行ったのですが、その時に「スキューバダイビング」なるものにダンナと挑戦してきました。

私が「是非やりたい」と言ったわけではなく、ダンナに引っ張られて講習を受けたかたちだったせいか、非常に辛かったです。インストラクターの方はとても丁寧に教えて下さったのですが…。

だって海の水は塩辛いし。
ボートは揺れるし。
器材は重いし。

当たり前なんですけど。

今回8回潜ったのですが、最後の2回あたりから、面白いなと思うようになりました。

日本に帰って、国内のダイブツアーの料金をみたのですが、船代も器材レンタル料も高い!

お金貯めて、タイでいっぱい潜る方がいいみたいです。

体脂肪が多い分、沈みにくいのでウェイトを沢山つけるのですが、その分、海から上がる時が辛い!

秋にマラソン大会もあるし、節制しなくちゃ。

この秋は、お正月休みのダイビングを楽しみに仕事を乗り切ろうと思います。

Aさんのこと

  • 2007.08.03 Friday
  • 19:23
私がAAにつながって日が浅い頃から、時々ミーティングでお会いする男性の仲間がいました。

その仲間、Aさんは、実はAAメンバーではなく、他の自助グループに所属しておられました。

どちらも人の集まりですから、人によっては、自助グループに対して相性の良し悪しがあります。でも、Aさんは派閥や団体にとらわれることなく、例会やミーティングに参加されていました。AAの月刊誌も欠かさず読まれていました。そのため、ごく僅かでしょうが、所属団体の一部のメンバーは、そうしたAさんの行動を快く思っていなかったとも聞いています。

Aさんご本人から「出席する」と伺っていたAAのイベントに来られなかったのが今年の4月。持病があり、体調が思わしくないとのことでした。

私が会場係をつとめているOAミーティングと、Aさんの所属団体の会は、フロアも時間帯も一緒です。
6月ごろ、私がOAの部屋に行こうとした時に、見覚えのある帽子を被った男性が、向こう側の別の部屋に入っていくのが見えました。腰をいためておられたようで、ぎこちない足取りでゆっくりと歩いておられましたが、会に出られるくらいには回復されたのだなと思っていました。

先日、そのAさんが亡くなられたと聞きました。
日本人の平均寿命は八十歳以上ですが、それに比べたら、ずっと短い一生でした。

お見かけした時、名前を呼ぼうとしたのですが、本名が思いだせませんでした。AAのニックネームで呼んだら、他の方が良い顔をしないかもしれない…と思っているうちに、部屋へ入られてしまったのです。

それが、私がAさんを見た最後でした。

訃報を受けたとき、やっぱり声をかけておけば良かった!と悔やまれました。

AAは、私たちのグループの言い方で言うと、長くソーバーを続けておられました。故人に対して、心ない陰口を叩く輩もいたようですが、お酒を止めても嫉妬は無くならない人がいるのでしょうね。私は、Aさんが、しらふで天国へ逝かれたと信じています。

Aさんからは、団体にとらわれず、生き方を大事にするためには、いろんな場所へ赴いて、いろんな人に会うのが大切なんだよ、と気付かせてもらいました。私もそうありたいです。

ご冥福を心からお祈りします。

なりたい私って何?

  • 2007.08.01 Wednesday
  • 19:36
子どもに「将来の夢は?」と聞くときは、たいてい職業を指します。
さて、私は一体何になりたかったのだろう?と思い出してみました。

「好きな人と結婚して子どもを産んで幸せな家庭を作る」なんてことは、両親を見ていて、ハナから思いませんでした。最初に目指したのは、医療系の仕事でした。別に人の役に立ちたたかったからではありません。「女もこれからは働かなくちゃ。そうしないと、お母さんみたいに、お金を稼げないだけで夫から馬鹿にされるのよ」という母親の言葉を真に受けただけです。資格職ならば女性でもずっと働けるから、という理由だけだったのです。

お金がないなら、自力で働いてやる、と思って夜間の大学にまで行ったのも、「女が勉強すると小理屈をこねて男に逆らうようになる」と言った父に、まともに反抗したゆえの行動でした。

たぶん、親の言葉はとても軽はずみなもので、まさか我が子がここまで深刻に受け止めていたとは思ってもみなかったでしょう。
今になって「なんであんなに親が嫌いだったのかなー」と思っています。

私は、本当は何をしたかったのでしょう?そう考えても過去は変えられません。
親への異常な反抗心は、私から家族への健康的な思いを奪ったかもしれません。うらみつらみを源にした行き方は私を破綻させたけど、それをバネにがんばれた時もあったし、それがなければ生きられなかった時もあったので、否定はしません。周りの人にも随分迷惑をかけたのは忘れてはいけませんが。

なんだか、私の食べ物の問題とよく似ています。

「反抗」という支えがなくなったときに、12のステップがあったのか、12ステップがあったから、親へのわだかまりが薄れたのか、どちらが先か分かりません。でも、「これから私はどんな仕事をしたいのか」を考えるときに、ステップはとても役に立っています。

仲間が、「昼間の仕事はライスワーク。ステップを使った生き方が私のライフワーク」と言っていたのを聞いて、なるほど!と思いました。だからといってその仲間は、仕事を単にお金を稼ぐ手段にしているのではなく、職場の信頼もちゃんと得ている人です。

最近、ライスワークに相当エネルギーを消耗しています。主治医からは「目の前のことをコツコツこなしていくしかないですね」と言われました。自分なりにステップを使って乗り越えて(やり過ごして?)いきたいです。

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2007 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM