特別な理由

  • 2007.02.24 Saturday
  • 12:13
太りたくない、でも食べたい、だったら吐いてしまえ。
過食嘔吐を止めたいのか、止めたくないのか、これは病気なのか、それとも風変わりなダイエットに過ぎないのか…。

ある日、本屋で「過食」「拒食」という言葉がタイトルに盛り込まれている本を見つけ、とっさに手にとって読み始めました。
こんなことをしているのは、私だけじゃなかったんだ!という安心感が生まれました。長くは続きませんでしたが。

「嘔吐したいんならすればいい」と本に書いてあったので、大きな味方をつけたように居直って食べ吐きに励みました、でも、いつのまにかトイレで泣きながら吐いている私がいました。
私がこんなに苦しいのは、何か理由があるはずだ…とりつかれたように、関係書を読み漁りました。でも、手に入れたのは回復ではなく理屈だけでした。だってそうです、結局、病気から治りたくはなかったのですから。

 ここにいる私は本当の私ではなかったから、ここにいる「特別な才能のない人間である私」なんて認めたくなかったし、健康な体になったら、いよいよ「本当の私」に向けて現実世界で努力をしなければならなかったからです。

特別な理由、という魅力を手放せません。
私が今、嘔吐が止まっているのに特別な理由なんて無いし、特別なオーバーイーターなんていないし、特別なアルコホーリックもいないし、特別なサービスもメッセージもないし、何をやっているから特別なんてことはない。

"chosen"選ばれたなんて感覚は無い。"tricked"だまされたと思って、やってみようかしらん、という表現がいちばんぴったり来るのです。

だまされたと思って、今日も外に出て人に会いに行きます。

サービス

  • 2007.02.21 Wednesday
  • 21:51
私がミーティングに行き始めて間もない頃、ミーティングの雰囲気に対して違和感を抱いていました。

ミーティングの進め方や、独特の用語のことではありません。もっと、人間社会では当たり前のところ、基本的なところがすっぽりと抜けているような気がしたのです。

それは、あいさつが無いこと。

実は私もそうだったし、回復してずいぶん後になって気付いたことです。

「こんばんはぁ」と挨拶して会場に入っても、中の人は人が来た気配に気付いて、こちらを振り向きはするけれど、ジロッと無表情で見るだけ。

それで、分かち合いの時にはステップがどうのこうのと言う。どうにも重みがありません。

もちろん、「こんばんは」「わあ、久しぶり!」と自然に出るメンバーもいる。あいさつがスッと出るかどうかが、回復や心の状態のバロメータのように思います。

食べ物やお酒は、たとえ八つ当たりしようと、気分次第で口にしようと、吐いて捨てようと文句は言いません。私たちは、そんな一方的な関係に慣れ親しんできました。

人との関わり方を学びそこねてきたのは、ただ飲酒や過食を責められるのが嫌で、人を遠ざけてしまったからだけでは無いように、今となれば思うのです。

あいさつは人が人に出来る最低限の礼儀です。サービスです。嫌いな人に忠義をつくす必要はないけど、礼儀正しくすることはできます。これはAAの中でも、外でも一緒です。

つながりたての仲間には、いきなりステップの話をしても難しいかもしれません。だから、あいさつをして、声をかけることを、私は欠かさないようにしたいです。

私も、最初にミーティングに行った時に、声をかけてもらって、とてもうれしかったから。

誰かが見てるから

  • 2007.02.19 Monday
  • 20:09
「二つ選択肢があったら、面倒くさい、難しいと思うほうを選べ。」

あるメンバーの言葉を聞いて、実践したことの一つが、職場の雑用を黙ってこなすことでした。

始業50分前に出勤して部屋の掃除をしたり、ゴミ箱を空にしたり、たまった雑誌をまとめたりといった簡単なことから始めました。

今まで、始業間際にボサボサ頭でボソッと挨拶をしながら出勤していたのですから、周りも「どういう風のふきまわし?」ぐらいにしか思わなかったのでしょう。私に声をかけてくれる人はいませんでした。自分が他人に「お世話様です」と声をかけたことが無かったのですから、当たり前です。

私が緊張せずに、身構えずに、職場の人達と仕事以外の会話が出来るようになるまで、長い時間がかかりました。

当時の職場に、定年を控えた女性の大先輩がいました。
自分が休憩の時には、かまわずに人を捕まえて言いたいことを言って「あら、こんな時間、ごめんね、じゃあね!」と慌ただしく去っていきます。こちらが仕事中でも関係ありません。でも、私はミーティングでの「聞きっぱなし」に慣れていたので、捕まった時は「まあ仕方ないか」と聞き手に専念していました。

その方は、納得できない事は上司でも追求して筋を通す方だったので、苦手にしている人もたくさんいました。でも、職種も歳も性格もかけ離れていた私は、苦にはなりませんでした。自分に無い部分を持っていたことが、うらやましくもあったのです。

いよいよ彼女が定年を迎えた日の事です。私が電話で仕事のやり取りをしていた時、「お世話になったわねえ」という言葉の後に、私にこう言いました。

「あのね、あなたが真面目にコツコツ仕事をしているのを、誰かがきちんと見ているからね、頑張りなさいね。」

私のことを気に留めてくれているなんて思いもしなかったので、びっくりしました。電話を切った後で、じわじわとうれしくなりました。

その方は、退職後しばらくして、病気で亡くなられたと人づてに聞きました。体調不良を覚えて受診して、わずか三ヶ月の間だったそうです。

英語に堪能で、学生の頃に船で渡米し、南部の田舎町に留学されたとも聞きました。きっとそこでいろんな体験をされたのでしょう。

頂いた年賀状と言葉を、今も大切にしています。

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