まだ大学生の頃です。先生を囲んで、ゼミ生と一緒に飲み会に行きました。
私は生まれつきお酒に強い上に、人見知りが激しく、酒が入っても愛想良くなるわけでも口数が増えるわけでもありませんでした。
一応、みんなの前ではうわべだけでもニコニコしてはいましたが、腹の底では「なんで飲み会までして人づきあいしなくちゃいけないんだろう。早く終わらないかな。」と思っていました。
カタイ話から世間話まで、ひととおりこなして、お隣同士でそれぞれ雑談をする時間帯に差しかかりました。
みんなで一つの話題で盛り上がっている時は、黙って聞いていればいいのですが、一対一の会話になると困ってしまいます。
おまけにその日は先生が隣の席だったこともあって、「困ったなー。何を話そうかなあ。でもこうやって黙っているのも悪いかなあ。ああどうしよう。」と思いながら黙々と食べていると、ふいに先生が私にたずねました。
「あなたは、自立とはどういう意味だと考えてますか?」
突然の質問で、それにどう答えたかは憶えていません。私の答えを受けた先生の言葉は、「これはあくまでも僕の考えだけど、何でもかんでも自分一人でやることが自立ではないんだよ。自分でできることと、ここは人にお願いして、助けてもらう方がいいこととが、ちゃんと分かっている人が、本当の意味で自立した人なんじゃないかな。」
そういう考えもあるのか、でも私にはできないな、と思いました。
人と関わるのが面倒くさいと言いながら、人の評価に人一倍依存してきたのが私でした。「ともちゃんは、何でも自分でできてすごいわね。」と言われたかった。勉強ができるのが良い、やせてスタイルが良いのが良い。それも人に聞くのではなくて、何でも自分で調べて一人で行動するのが良い。
ところで、「○○が良い」なんて、そういえば身のまわりの誰かから直接言われたものだったっけ?
なんで「良く」なくちゃいけないんだろう?「良いこと」が「正しいこと」と勝手に決めて、正しいと言われて勝手に安心していたのは誰だったんだろう?一人でやることが良くて正しくて、それをみんなに認められたくて、認められないと一人でいるのが不安になっていたのは誰だろう?
「分からない」ことが悪いことで、間違っていることだなんて、いつ誰が私に言ったのだろう?
単純なことが、私には簡単なことではありませんでした。単純なことに気付くまで、そして、あの時のゼミの先生はが私に言いたかったことがわかるまで、とても長い時間がかかりました。