ぽろぽろ(続)

  • 2004.12.29 Wednesday
  • 01:15
「それにしても、あの涙はなんだったのだろう」

最後のステージをひと目見られたら気が済むと思っていたのに、時間が経つにつれ、余韻にひたるどころか、どんどん心の中が重くなってきました。

私がファンになったのは約10年前。2001年の1月からバンド活動は休止していましたから、ライブに通いつめていたのは6年ほどです。

実はこの時期というのが、いまのところ私の人生の中で「二度と繰り返したくない時代」だったりします。

過食嘔吐の習慣はもっと前から始まっていたのですが、それが最盛期を迎えて、やがて過食する気力も奪われて、長いウツ状態に陥ってしまいました。

「食べて吐くことで私は生き延びていられるんだ、私には必要なんだ」と思えば、次の日には「汚い、汚い、情けない」と泣きながら寝入ってしまったり。
朝が来るのがイヤで憎らしくて、カーテンを閉めっぱなしだった日々もあったし、月を見上げても涙が出ることもあったし。呼吸をするのも面倒だと思った時期もあったし。

それでも、イエローモンキーの曲はずっと聴いていて、ライブには行っていました(それも広島だけではない)。活動休止が発表される頃にはパニック障害も併発していたのですが、当分見られなくなると知ると、「もう客席で倒れてもいい」と思って、大阪まで行ってしまいました。吐きそうになりながら地下鉄に揺られた覚えがあります(ちなみに倒れませんでした)。その約半年後、私はAAのミーティング場を、何年かぶりに再訪することになるわけです。

昨晩、私が泣いてしまったのは、メンバーを見たとか、思い出の曲が聴けたからとか、もちろんそういう理由もあるのだけれど、一番の理由はやはり「自分のこと」でした。

思い出、なんていう優しいものではなく、当時の感情が一気にあの瞬間にせりあがってきたのでした。準備もガードもしていなかった、やられた。

彼氏に話すと、「あなたも年が明けたら、3年のバースデーでしょ。この年末にゆっくり整理したら?」と言われました。

あの頃の自分には二度と戻りたくないけれど、忘れたらいけないのだと思います。あれだけ歌に救われたことはなかったし、悪いことばかりではなかったんです。

ぽろぽろ

  • 2004.12.29 Wednesday
  • 00:09
今回東京へ行った最大の目的は、私がこよなく愛したロックバンド、「ザ・イエロー・モンキー」の解散イベントを見るためでした。

イベントの主な内容は、ビデオ上映や楽器などの展示です。それでもはるばる東京ドームまで行こうと決心したのは、「メンバーが来場して挨拶をする」からでした。4人が揃う最後の機会を、この目で見たかったのです。

会場内はツアーそのままにステージが組んであり、ビデオ上映時以外は、来場者がその場に立てるようになっていました。私の席はアリーナの後ろ寄りでしたが、振り返るとスタンドにも大勢の観客がいました(ニュースによれば35000人も集まったとか)。私みたいな人がこんなにいるんだと思うと、正直おどろきました。
2時間弱のビデオを見ながら、見に行ったライブのことや当時のことを色々と思い出していました。

上映が終わってほどなくして、メンバーがあらわれました。こちらに向かって大きく手を挙げています。私は周りのみんなと同じように、あわてて座席から立ち上がりました。4人は静かに、前方にせり出している小さめのステージに向かってきて、ゆっくりと楽器とマイクを手に取りました。

何度も聴いたイントロが耳に飛び込んできました。「ここで泣いたら、あんまりにも単純じゃないか」と思ったのと、涙がにじんで湧き出てきたのが同時でした。

曲の途中で、ボーカルの吉井さんが「一緒に歌って」とばかりに大きく腕を振って私たちをあおっておいて、しばらくして突き放すような、ちゃかすような感じで、マイク越しに「ずっと歌っててください。」とボソッと言いました。これも聞き覚えのある口調だったので、泣きながら思わず吹き出してしまいました。

一曲だけ歌うと4人は奥のステージへ下がり、私たちのほうへ向き直って手を振って、そのまま去っていきました。

もし言葉を聞いたとしても、私は彼らの言葉よりも、私とイエローモンキーの思い出のほうを信じてしまうでしょう。それはきっと他のファンも同じだろうと思います。

ステージの上に立って、アリーナとスタンド席を眺めました。押し寄せてくる「気」を一身に浴びるのはどんな心地だろうと想像しました。となりにいた二人連れが前方を指差して「さっきまで、あそこにいたんだよね」と話していました。

さっきの涙と一緒に出てきた、いろんな感情を抱えて帰途につきました。

ばったり

  • 2004.12.28 Tuesday
  • 22:17
彼氏と東京へ行って来ました(こうやって書き込んでいるのは28日)。

「せっかくだからAAのミーティングに行ってみよう」という話をしていて、彼があらかじめ地図や地下鉄の路線などを調べてくれていました。
地下鉄のエレベーターを上って下りて、連絡通路を延々と歩き、地上に出れば、そこはネオンの洪水です。キョロキョロと迷いながら、なんとか辿りつきました。

会場には、すでに沢山の方がおられました。広島では、まずお目にかかれない人数であります。パイプ椅子に座って、「これじゃー、全員喋るなんて絶対無理だなあー」と思いながら周囲を見回していたら、そのうちの一人と目が合ってしまいました。「何者?」というふうにジッと見られた気がしたので、「本人です。」という目でジッと見返したら、スッと目をそらされてしまいました。

突然、隣に座っていた彼氏が大きな声を出して、私たちの斜め前に座っていたメンバーの肩を叩きました。なんと、いつも広島のミニラウンドアップに来てくれている仲間だったのです。

東京はグループの数も会場の数も多いし、連絡先も分からないので、当然ながら私たちが東京に来ることなんて、向こうは知りません。彼氏の笑顔を前に、しばらくの間ポカンとされていました。

「いつも、この会場にいらっしゃるんですか?」
「いやー、半年振り。」

知った人に会えたということで、急に安心感が出てきました。ミーティングで何人かの話を聞いていて、「あの人と話がしてみたいな」と思った方もおられたのですが、残念ながらその機会はありませんでした。

終わった後に、顔見知りの仲間と、この日初めてお会いした方と、彼氏と私の4人で、コーヒーを飲みながら話をしました。「かわらばん」を頂いて、ミーティング一覧を見て、びっくりしました。まるでテレビの番組表のようです。ますます、この日仲間に出会えたことは、すごい確率だなあと思いました。

帰り道、わざわざ地下鉄のホームまで送ってもらいました。ありがとうございます。

今年唯一の忘年会

  • 2004.12.12 Sunday
  • 13:07
飲む飲まない、食べる食べない以前に、私にとって負担なのが「他人と一緒にいること」です。

内弁慶なので、ミーティングでは図々しくさせてもらっていますが、これが世間の人たちが相手となると、まだまだ構えてしまいます。気心の知れない人、親しくなる必要も無い人間関係の中だと、なおさらです。

そういう理由付けのもとに、今年の忘年会も「職場の内輪だけ」でのメンバーのものに限らせてもらいました。

さて、お酒のほうですが、実にアッサリと片付いてしまいました。最初の一杯のときに「ウーロン茶を」頼んだ時に、「あれ?飲まないんだ。」と言われて、ちょっとドキッとしてしまいましたが、私が何も答えないうちに

「ははーん、飲み会が続いとるんじゃね。」
と、先方が勝手に推測してくれました。その後すぐに他の話題に移って、それで終わりました。

私のほかにも飲まない人がいましたが、その人は「この前、検査でひっかかっちゃって」とハッキリ言っていました。無理強いする人は誰もいませんでした。

宴会では、ひたすら聞き役に徹しました。今さらながら、他人の話を聞くのも気力と体力が要るものです(なにげなく聞き流すだけでしたけどね)。

夜の11時を過ぎても街にはたくさんの人が繰り出していましたが、十数年前のバブルの頃と違って、タクシーがすぐにつかまりました。ミーティングの行き帰りによく通る道ですが、この時期になっても平日は人影がまばらです。みんな、「つきあい酒」も選ぶようになったのかもしれませんね。

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