今日一日

  • 2004.11.27 Saturday
  • 09:20
いつも、明日から明日から、と思っていました。

いまの私は、本当の私なんぞではなく、もっと強くて才能があるのだ。ましてや、こんなに太っていて、体型や食欲をコントロール出来ないようではダメなのだ、いま身の回りに居るくだらない人たちなんか、相手にしている場合ではないのだ、と思っていました。

たまに調子が良かったときも、まだまだ足りない、これじゃいけない、まだこんなにもやるべきことが残っている、と思っていました。

食べ物から気をそらせようと、食べ吐き以外の気晴らしもしました。時々は上手くいきました。

「本当の自分ってなんだろう、私の居場所はどこだろう」と、ずっと考えていました。仕事以外のサークル活動もやってみましたが、続きませんでした。

そもそも、いまここに居る自分が、どれだけのものであるかを知りたくなかったのだし、他人と向き合うと、自分と向き合わざるを得ないから、他人を避けていたのだし、そのくせ、周りから、自分がどう見られるか、どう見られたいかという結果ばかりに依存していただけなのだから、居場所なんて、見つかるわけがなかったのです。自分探しだなんて、都合のいい言葉を言って。

今ここに居る私をとりまく人とか物とか風景とか音とか、それをしっかり感じて、頭だけで理解しようとしないことが一番大事なんじゃないかと、ようやく気が付いたところです。

怒りと妄想

  • 2004.11.12 Friday
  • 23:25
ミーティングでは、いつも「今日を新たに」の読みあわせをします。

どうも頭の中が正直に出ているらしく、「黙想」を「妄想」と読み間違えてしまいました。

たとえば11月8日のところはこんな感じ。

 ...妄想は常にどこまでも深められる。その広さにも深さにも限界はない。...

うーむ。

彼氏が「「祈りと黙想」を「怒りと妄想」に置き換えて、文章を悪いほうに変えて読んでみんさい。よう、あてはまるけ。」と言ったので、試してみました。

うーむ、うーむ。

以前、仲間が12のステップのパロディを作って見せてくれたことがありました。たとえば「私たちの意志と生き方を、自分の欲望にゆだねる決心をした」てな具合です。
「ひんしゅくを買いそうだから、笑って許してくれる人にしか見せない」と言ってましたが、それは、とてもとても私たちに「ピン」とくるものでした。

疲れてるけど動かされてる感じ

  • 2004.11.12 Friday
  • 06:37
フォーラムが終わって、脱力するかとを思っていたら、その逆でした。

仲間や家族の体験談や、専門家の方の話を聞いて、私の中で刺激される何かがあったようです。いろんな思い、忘れていた出来事が、ふとしたときに頭に浮かんできます。

この前のミーティングでも、「私はこんな話をするつもりじゃなかったんだけどなあ」と思いながら、泣きだしてしまいました。

週に一度はホームグループ以外のミーティングに出席していたのですが、最近はとくに仲間の顔が見たくて、自然に足が向くようになりました。今はそういう時期なのでしょう。調子の良いときも悪いときも、それなりにやっていけるようになりたいと思います。

人間ドックに行ってきました。

  • 2004.11.11 Thursday
  • 18:33
頭や性格の調子が悪いのは仕方ないとして、せめて身体のチェックだけはしておこうと思い、受診しました。

ひととおり検査が終わって、先生の問診を受けたのですが、この方がとても面白かったのです。実に歯切れの良いテンポでコメントをされるのです。良い・悪いをハッキリとおっしゃるので「この先生は信頼できるなあ」と感じました。「中性脂肪」の欄のところで、ふいに

「運動してるでしょ!?」

とたずねられました。「基準値より低いんですよ、これは運動を習慣にしていないと出ない数値なんです。低いのは全く構わないのでね。」

「他もいいですね。数字を見てても気持ちがいいですね。ハイ、当たり前ですけど、異常ナシです。」

実は今回利用した病院は、彼氏がお酒で倒れたときに、救急車で担ぎこまれた病院でした。今回私に対応をされた先生のことも知っていて、帰って彼氏に話をしたら、「あの先生が、そんなに褒めるなんて滅多に無いよ。久しぶりに健康な人間を見たんだろう。」と言われました。

アルコール依存症の人たちの平均寿命は、52歳だそうです。どの本だったかは忘れましたが、アルコールと摂食障害を持ち合わせて、病院で亡くなった方の年齢が、おおむね30代だと知ったときは、とてもショックでした。

私はいま33歳ですが、死んでいても、ちっとも不思議ではないわけです。

私には、回復したいと願ったときに、それに応えてくれる身体が残っていました。あれだけいじめ抜いたにもかかわらずです。

この身体をもらっただけでも、親に感謝しなきゃと思いました。これだけで充分だって。

思い出した

  • 2004.11.10 Wednesday
  • 04:09
ウチのお父さんは、「家にいないのが普通」でした。
父は仕事の関係で何ヶ月も船に乗っていて、航海が終わって帰ってくると、今度は朝から晩までずうっと家にいるのでした。

父がウチにいる間は、私の好きな晩御飯を作ってもらえなかったので、いやでした。かわりに、刺身や一升瓶やビールが、テーブルの上に並びました。お母さんからは「あともう1ヶ月したら、いなくなるから、がまんしてね」と言われました。

父はいつもリビングのソファの真ん中にブスっとして座って、石のように動かず、黙ってテレビを見つめていました。あたりにはタバコの煙が雲海のように立ち込めていました。

私が高校生の頃、父は退職しました。ずっと家にいるようになりました。私は学校から帰ると、すぐに自分の部屋に直行して、御飯とお風呂の時以外は、部屋から出ませんでした。

子どもの頃から、お母さんは私にこう言っていました。

「お父さんはねえ、お酒を飲まないと人と喋られないの。中毒ってほどじゃないけど、アルコール依存症なのね。だからしょうがないの。」

母は「中毒」と「依存症」は別だと思っていたようですが、ともかく、今さら父をどうしたいとか、どうなって欲しいとは、てんで思っていなかったようです。酔った父がニヤニヤして、通りすがりに私の身体を触っても、「酔っ払ってるし、あなたのお父さんなんだから気にするな」と言われるだけでした。

AAにつながった頃、別れた奥さんや子どもの話をされるメンバーを見ていても、「虫のいいこと言うなよ、どの口で神様って言ってるんだよ」と思っていました。あんたの奥さんは偉いよね、逃げることができたんだから。

だけど、私のまわりの仲間は、みんな私に優しかったです。それは他人だからか、私がお酒を止めてからの姿しか知らないせいなのか、それとも私を怒らせると厄介だと、相手が直感で配慮してくれたからなのか、よくわかりませんが。

このまま、ウチのお父さんは、「自分がいつもどんなふうだったか、そして何が起こって、今どうなっているのか、大よそのところをはっきり」させることなく死んじゃうと思います。

仲間が家族の話をするのを聞くと、仲間自身の気持ちとか、家族の気持ちを想像してしまって、ちょっぴりせつなくなります。

自問自答

  • 2004.11.10 Wednesday
  • 03:46
街のブティックに売られている服が、全部Lサイズになったら、私は体型にこだわらなくなっただろうか

 平安時代みたいに、ふくよかな女の人がモテるようになったら、私は幸せになれると信じてたんだろうか

 「やっぱりピチピチの若い娘がいいねえ」なんて言うオヤジが、この世からいなくなったら、私は満足できたんだろうか

他人の評価に振り回されなくなったら、私は幸せになれたんだろうか

過食さえ止まったら幸せになれると信じてたのは確か

なにもかもうまくいくって信じてたのも確か

っていうか、

幸せじゃなかったら不幸なんだろうか?

お礼とご報告

  • 2004.11.10 Wednesday
  • 03:38
「第3回 AA日本広報病院&施設フォーラム」が、無事終了いたしました。

「会場と日時を押さえるだけでいいらしいよ」という誰かの(ホンマに誰が誰から聞いたんだろう??)情報を、ホントかどうかロクに確かめずに引き受けてしまい、さらに同じ日に同じ地域の別の地区で、メンバー向けのイベントが行われることになっていて、一時はメンバーの参加者数が危ぶまれたりとか、色々ゴニョゴニョあったのですが…

終わりました。はあ。

これまでにも仲間が病院や行政にメッセージを運んでいたのですが、とても追いつきません。インターネットで病院や専門学校を探すところから始めました。

「郵便で送るだけじゃダメだ、ちゃんと足を運んで、相手に顔を見せて、話を聞いてもらおう」と、回れるところはとことん回りました(私じゃないよ、仲間のみなさんです。ほんまにありがとう)。

おかげさまで、AAの中にも、外にも、新しい縁ができました。その縁を続けていくのは、私たちのこれからの行動にかかっています…なんて、えらそうなことを書いてみたりして。

今週は「走る一週間」でした。今からゆっくり休みます。

バタンキュー。

改めて、アルコホーリクのともすけです。

  • 2004.11.06 Saturday
  • 21:47
私にとってのお酒とは、いったい何だったか、考えてみました。

私にとってお酒は、父親の象徴でした。私にとっての父親は敵であり、「倒すべき存在」でした。

お酒は味わって飲んだ覚えが、数えるほどしかありません。度数の強いお酒を飲んで、酔わないでいる自分を確かめる作業を延々とやっていました。

「私はこんなに強いお酒を飲んだって、あんたみたいに酔わないんだから。私は、あんたみたいには絶対ならないんだから。」

父親の幻想は、昔ほど私を占領していません。とはいえ、私の性分からして果たして楽しくお酒が飲めるかどうかは疑問ですし、むしろ飲まないほうが、私にとってよい生き方ができると思っています。

3年前の日記が出てきました。

  • 2004.11.01 Monday
  • 21:36
書かれていた期間は約2ヶ月あまり。ちょうど、AAにつながって2ヶ月目ぐらいかな?

「なんのために、こんなことやっとるんじゃあ」
「なんで私ばっかり、こんな目にあうんじゃあ」

というようなことが、大学ノートに、せつせつと綴ってありました。
当時の私のブレ具合が、よーく分かりました。分かりすぎて、もう、ムズがゆいというか、痛いというか。

でもこれは捨てずに大切に取っておきます。

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