有休、ください。

  • 2004.06.30 Wednesday
  • 21:13
このところ「綱渡り」の日々が続いていたのですが、ついに週明けに「はげしい月曜病」に見舞われてしまいました。

ホントに「予感」がしたの…というのは言い訳かもしれませんが、そろそろ限界だったようです。昨日のうちに休暇願いを出しました。

気が抜けたせいか、今朝から頭痛と眠気におそわれ、昼過ぎまで寝ていました。
これだけ不調な日が多いのに、食べ吐きせずに、極度のウツ状態におちいらずに済んでいるのが本当に不思議です。

昔だって、心や体がSOSのサインを出していたはずです。それに気づこうとしなかったから、手痛い「しっぺ返し」をくらったのでしょう。

おかげでよい休養が取れました。あと3日間、がんばろうっと。

痛がりんぼ

  • 2004.06.28 Monday
  • 19:07
いたがりんぼ。

「くいしんぼ」「おこりんぼ」と違って、かなり語呂が悪いです。

私は心がとっても「痛がり」です。

感受性が強い、ってのとは違います。こっちの言い方がしっくりきます。

痛がるあまり、自分以外のことに目が向かなくなるのが私の性分のようです。痛いことから逃げて生きるわけにもいきません。
そういう「痛いこと」に少しずつ慣れていかなきゃいけません、と言ったのは、うちの彼氏です。

じゃあ、どうやって?

調子のいい時も悪いときも、何かひとつのことを続けて習慣にできれば、それが自信になります。少しくらいのことなら「なんとかふんばれるかな」とも思えるし、踏ん張れたら、怖さや痛さに慣れてきます。

とはいえ、まったく新しい習慣を身に付けるのは、自分ひとりではできません。ときには「変える」行動それ自体が恐怖になります。

私の場合は、

ミーティングに出続けること(たとえ気に入らない人がいても!)
トレーニングジムに通うこと
そして、
吐くのをやめること

でした。

これはほんとうに、一人では続けられなかったことです。とくに、吐くのを止めることはとても怖かったです。

私の他人への恐怖、ことに「他人の自分に対する評価」への恐怖は、とても根深いものがあります。
人と一緒にいて疲れた日も、うまくいった日も、上に書いた3つのことだけは、なんとか続けようとしてきました。
いまのところ、なんとかなっています。

そしてようやく、自分以外の大きな力に気づかされるのです。

やっぱりこの時期は...

  • 2004.06.19 Saturday
  • 21:42
だるいです。みなさんはいかがお過ごしですか?

外の蒸し暑さも苦手ですが、冷房のききすぎた部屋も苦手です。この時期は体温の調節だけで体力を消耗してしまいます。世間の(依存症ではない)みなさんも、体調を崩されている方が多いようです。それを見聞きしたからといって自分が元気になるわけではありませんが、ちょっとホッとしています。

以前は、回復していくにつれて気候の変化にも左右されなくなるのかな、と期待していたのですが、最近は「いかに受け流してやり過ごすか」が課題だなあと思うようになりました。

先週、プロレスを見に行ってまいりました。

  • 2004.06.12 Saturday
  • 09:08
「闘龍門JAPAN」という団体です。アクロバティックな試合(とお笑い)が売り物です。マスクや奇抜な衣装を身に着けた選手も登場します。

休憩時間になると、さっきまでリングでドタバタしていた選手たちが、会場の後ろでDVDや大会のチケットなどを売っています。試合が終われば、リングの片付けも自分たちの仕事です。マスクをつけたままの選手が黙々と作業をしていました。

…少し売れたインディーズバンドのほうが、よほど楽にやっているのではないでしょうか?

プロレスラーと聞けば、まず昔話で言うところの「大入道」を想像するでしょう。
ですが闘龍門で活躍する選手は、とても小柄です。プロレスラーになりたい。自分の体は決してプロレス向きではないけれど、どうしても選手になりたい…結果、やる気が素質(体格)を超えてしまった人たちなのかもしれない、と思います。行動する前から躊躇したり先のことを考えて足踏みをしてしまう私としては、うらやましいです。

試合終了後に「会場の片付けを手伝ってくださるお客様を募集しています」というアナウンスが流れました。私が迷っているうちに、隣にいた彼氏は「へえ、手伝う人もおるんじゃ」とだけ言って出口へ向かい始めました。

私は後ろ髪をひかれつつ帰途に着きました。顔がみるみる曇って涙目になっている私を見て、彼氏はさっぱり見当がつかなかったようでした。「なんね、言うてごらん。黙っとちゃわからん」と2、3度言われて、ようやく口を開きました。

「…お手伝いしたかった…」

「なんだ!そんなことか!だったらそう言えばよかったじゃない」
「言えばよかったって、そっちが「手伝う人がおるんじゃー」って呆れたように言うから、ダメだと思ったんじゃないの。そっちは興味が無いし、だからと言って一人で行くのは不安だし。」
「あきれて言ったんじゃないよ。ただ事実を言うただけじゃ。なんでそんな風にとるの。」
「だって、手伝う人をバカにした言い方だったもん」
「バカにしとらんて!ともすけが「私は手伝いたい。」ってあの時にハッキリ言えば、僕だって腕まくりして受付のところに行ったよね」

自分の意思はハッキリ伝えなさいね、今度は二人で手伝おうね、と彼氏に言われて、その場は収まりました。

底をつく

  • 2004.06.01 Tuesday
  • 17:07
「底をつく」とか「底つき」なんて言葉をミーティングで時々耳にします。

本人が「ああ、底つきだあ」と思うのは、どんな時なのでしょうか。
幻覚幻聴に見舞われたら底つきでしょうか?精神病院に何度入院したら底つきになるのでしょうか?神社の賽銭を盗んだら?墓場の酒を飲んだら底つきでしょうか?どうやらそんな分かりやすいことでもないようです。

一時期、アル中さんの底つきはどんな世界なのだ?と思いながら仲間の体験談を聞いたのですが、どうも想像の域を出ません。

じゃあ、私にとっての底つきとは、どんなときだったか?
これはもう、数年前のウツの時期です。食べ吐きしていた頃がまだ元気がありました(不健康なハイテンションだったかもしれませんが)。

おそらく自分の「底つき」がいつどのようなものだったかは、ある程度時間が経ってから分かるのでしょう。自分の行動や言動を思い返して、冷や汗をかいたり苦笑いをしたりして、はじめて実感するのかもしれません。

 体験を聞いていて「よく死にませんでしたね」と声をかけたくなる仲間がいるのですが、実際のところ「底つき」の前に、テストの段階で死んでしまう人のほうが、ずっとずっと多いのでしょう。

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