…というのが、私の高校時代の「本を選ぶ基準」でした。
ことに私たちの中で人気があったのは中原中也でした。
芸術家だから許せる放蕩ぶりとか、若くして肺病で亡くなったりとか、死後に才能を認められたなんていう経歴もさることながら、なによりも決め手となったのは、教科書に載っていた写真でした。帽子をかぶった、あどけなさの残る顔が、年頃のミーハー文学少女の心に強く印象付けられたのです。
当時の現代文の先生が、とても授業の上手な先生でした。みんなが退屈する頃になると、その作者の経歴を面白おかしく話してくれたものです。
なかでも、中原中也と小林秀雄が、ひとりの女性をめぐって恋敵になった話は私たち生徒の間でいちばん盛り上がりました。
小林秀雄は、私たちにはすこぶる不人気でした。彼の著作が現代文の試験によく出てくるのだけど、これが難しい。おそらく本人は「読み手に理解してもらおう」と苦心したのでしょうが、その回りくどさが余計にでも難解さを極めてしまう文章だったからです。写真を見てもオジイチャンだし、どうにも読む気がおこりません。
そこへ「フラれたのは中原中也のほうだ」と言われたので、クラスのみんなは口々に「中原中也のほうが、かわいいじゃない」「なんでー?」「どこがいいの?」と言いました(ちなみに女子高でした)。
その不満ぶりがおかしかったのでしょう。その先生は次の授業のときに、自分の本をわざわざ持ってきて、みんなに回覧させたのです。
「あのね、みなさん。中原中也は30歳で若死にしたから、若いときの写真しかないんです。小林秀雄は長生きしたから、教科書に載っているのはオジイサンのときの顔なんです。彼にも当然若い頃はあったんです。
ここに恋人の泰子さんと、中原中也と、3人で写っている写真がありますから、見てみなさい。」
どれどれと覗いてビックリ、これが、けっこうイイ男だったのです。
またもや私たちはどよめきました。先生のおかげで、この恋愛話においては「小林派」も増えました。相変わらず文章は不評でしたが。
数年後、中原中也記念館を友人と訪れる機会がありました。彼は晩年(といっても20代後半ですね)にはNHKの入社面接を受けたとあり、その頃の写真を見ました(今で言うリクルートルックか?)。
「フツーの人」の側面を垣間見て、少しガッカリしたのを覚えています。