心は見える?
- 2003.10.27 Monday
- 20:57
以前にも書いたような気がするが、心は目に見えなくても、心の状態って、自分で思っている以上に他人に見えているんだなあとつくづく感じます。
たとえば、部屋が散らかっていたり、仕事場のデスク周りが雑然としている人、こんな人はたいてい、物事の優先順位がつけられないのではないでしょうか。
いや、私が昔そうだったから、身につまされるんですけどね。
「その場所だけがきたない」とか「そこだけがうまくできない」のではなくて、一事が万事、立ち居振る舞いすべてに欠点が現れているのではないかと。私の病気も同じことが言えるのかもしれません。お医者さんじゃないので断定はできませんが。
私は昔「過食がおさまればすべてがうまくいく」と信じていました。「問題は過食だけ」と思っていました。
しかし今振り返るに、私はあらゆる状況において、周囲の人々に「性格上の欠点」を露呈していたのではないかと思います。まあ、あの頃は「性格上の欠点」が無ければ生きていけなかった、というところもあったのですが。
過食以外の問題に気づくにしたがって、過食がゆるやかに「なりをひそめて」いったように思います。
ととはいえ、「ひそめて」いるだけだからなあ…これが。
たとえば、部屋が散らかっていたり、仕事場のデスク周りが雑然としている人、こんな人はたいてい、物事の優先順位がつけられないのではないでしょうか。
いや、私が昔そうだったから、身につまされるんですけどね。
「その場所だけがきたない」とか「そこだけがうまくできない」のではなくて、一事が万事、立ち居振る舞いすべてに欠点が現れているのではないかと。私の病気も同じことが言えるのかもしれません。お医者さんじゃないので断定はできませんが。
私は昔「過食がおさまればすべてがうまくいく」と信じていました。「問題は過食だけ」と思っていました。
しかし今振り返るに、私はあらゆる状況において、周囲の人々に「性格上の欠点」を露呈していたのではないかと思います。まあ、あの頃は「性格上の欠点」が無ければ生きていけなかった、というところもあったのですが。
過食以外の問題に気づくにしたがって、過食がゆるやかに「なりをひそめて」いったように思います。
ととはいえ、「ひそめて」いるだけだからなあ…これが。
- こころと過食症
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