摂食障害者のHP

  • 2002.04.28 Sunday
  • 09:48
いろいろ検索していったら、本当に沢山、あるある!
「みんな、いったい何処に隠れていたんだよう!」と思う。

過食真っ最中の人の話を読むと、過去の自分がよみがえってきて、身につまされる。ああ、わたしもこんなことやってた、あんなことを思ってた…。

一方で、症状がおさまっていった人の文章を読んでいると、「食べる、食べない」という目の前のことに気をとられているうちは先に進めないのだなあ、と実感する。人の数だけ心があり、心の数だけ回復のタイミングがある。私の場合はたまたま自助グループだったのだけれど、もちろん、他の方法で生き方のコツをつかんでいった人もたくさんいる。

依存症は(私の食べ方は依存症だと思っているのだけど)、特別な病気ではない。だから、卑下することもない。ということは、たまたま症状がナリをひそめているくらいで、有頂天になってもいけないのだ。

ところで、わたしが出会うメンバーの中でも、ほんとにごく一部の人なんだけど、勝手知ったる少ない仲間で力くらべをしている人がいる。ちょうど、依存症という病魔に蝕まれていた頃に、家族や友人や職場の人間に争いを仕掛けていたのと同じように。わたしもそれに巻き込まれて、つい怒りを覚えたりすることがある。

良しにつけ悪しきにつけ、「仲間は鏡」なんだと思う。

怒りの波

  • 2002.04.27 Saturday
  • 15:54
頭に血がのぼる、とは本当によく言ったものだと思う。

喉元からカッとこみあげてくる怒りの感情…。不安もそうだ。以前に比べて、少しは「流し方」も要領よく出来るようになったけれど、それでも時間がかかる。

他人の行いに対して怒りを覚えたときは、本当に危ない。ひとりきりで、ただただ波が鎮まるのを待つしかない。「ここで相手が居たら、間違いなく食ってかかっているだろうな」と思うことがしょっちゅうだ。

人に対する振る舞い、自分自身をどのくらい大切にしているか、ネガティブな感情を何時までも手放せずにいるのではないか…。

…少し冷静になれば、そう思える余裕も出てくるのだけれど。

きのうのわたし、あしたのわたし

  • 2002.04.27 Saturday
  • 05:59
同じ摂食障害の人の話を聞くのが、とても辛い。重い。

自分の中に、「ついこの前の私の姿だ」という気持ちと、「いつ、あの頃に逆戻りするかわからない」という恐れがあるのだと思う。

グループの中で使う言葉に、「先を行く仲間」というのがあるのだけれど、私は長い間、この言葉が受け入れられなかった。なんだかこう、エラソウな気がしたからだ。
今まで出会ってきた中で、「やめられないとまらない」ことが「たまたまやめられている」くらいで、得意気になってる人がいたり、限られた時間なのに、ほかの人のことを考えずに、ひたすら自分の言いたいことを話してばかりの人…私の受け取り方がひねくれているんだろうけど…がいたりして、「ああいう風にはなりたくないなあ」と思うこともしょっちゅうあった。

ああいう性分だから依存症になるんだってば。なんで、あんなのを「先行く」仲間って呼ばないといけんのやろ?

でも、確かに「先行く仲間」なのだ。要は、自分が相手を見たときに、どう思うかによるのだと思う。「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」とか、「人の振り見て我が振り直せ」などと言うではないか。
今まで、自分の身体や他人にやってきたことが普通じゃなかったんだもの、それをわきまえないといけない。
 目の前にいる人は、ついこの間までの私だったかもしれない。もしかしたら、明日の私の姿かもしれない。
…というわけで、いわゆる「ムカツク」人にほど、手を合わせないといけないのだと思う今日この頃である。

言霊

  • 2002.04.23 Tuesday
  • 22:05
自助グループのミーティングでは、それぞれがそのときに伝えたいこと、はたまた吐き出したいことを言ったり聞いたりする。

最初の頃は、自分の順番が近づくと緊張して、何を喋っていいかということばかり考えていたし(話したくなければパスをしてもいいのだが)、少し慣れてくると、今度は愚痴であろうと何であろうと、今日は何を喋ってやろうかということばかりに気をとられていた。

 いずれにしろ、他人様の話を聞く余裕なんか無かったのである。

それが、少しずつ周囲の様子が見えるようになってきた。そうなると、自分の心の中にある変化が起こった。はじめは、自分の思いを言葉にできて、人に聞いてもらえるという気持ち良さや、言葉のもつ良い部分しか感じなかったのだけれど、今は、言葉の持つ恐さがわかるようになった。

ある日のミーティングの事だ。話を聞いていたときに(別に恐い話でもなんでもなかった)、ふいに、頭の上からすっぽりと「何か」がおおいかぶさってきたのだ。やわらかい、しかし、ずっしりと重い感触。次の瞬間、背筋がゾクゾクとした。
「風邪気味だったんじゃない?」と言われればおしまいだけど、私はそれを「言霊」だと直感した。そこに集まった、いろんな人のいろんな思いが、一気に押し寄せてきたような気がした。

私たちは体験の分かち合いの最中に、人の話に対して議論したり批判したりすることは無い。
とかく「言いっぱなし、言いっぱなし」になってしまいがちなのだけれど「聞くこと」に注意を向けるようにしたいと思う。実際のところ、自分が話すときよりも、人の話を聞くほうが数倍も疲れる。そして、私の心に不快に響くことほど、今の私には大切なことなんだろう。きっと。

言いわけ

  • 2002.04.14 Sunday
  • 18:20
過食嘔吐が一番ひどかった頃だが、自分を責めたかと思えば、「これが今のわたしの唯一のストレス発散方法なんだもの」と居直ったりと、まあ日替わりで気分がコロコロと変わったものだ。
そのせいか、何事につけ言い訳ひねり出すのが、すっかりと得意になってしまった。
コジツケ、屁理屈もいいところなのだけれど、自分の立場が悪くなると相手の揚げ足を取りはじめたりして、非常に始末が悪い。

ところがウチの彼氏は、そんなわたしのペースに巻き込まれること無く、逆にわたしの卑屈な戦法を見破ってしまったのだった。
最近、喧嘩らしいケンカをしていないのだが、それは相手が適当に受け流してくれているからなのかも。

地雷爆発

  • 2002.04.14 Sunday
  • 05:37
グループのメンバーと喧嘩をしてしまった。

わたしはグループの会計を任されているのだが、取りまとめ先に先月分の会計報告を忘れてしまったのだ。
 それが発端だと思うのだが、メンバーから電話がかかってきて、開口一番「グループがぐちゃぐちゃになっているので、一度話し合いをしたい」と言われた。確かに会計報告が遅れたのはわたしのミスだ。だけど、かわりに領収証を受け取ったからといって「グループについて考えないといけない時期に来ている」とまで言わなくていいじゃないか、と、ついついカチンときてしまったのである。

「あんたにグチャグチャなんて言われたくない」

…とは言わなかったものの、限りなくそれに近い言葉を投げつけてしまった。
その後、グループのリーダーがなんとか取り持ってくれたのだけれど、やっぱり後味が悪かった。
利害関係の無い、ほんの少人数のグループでもモメゴトが起こるんだもの、人づきあいってやっぱり難しい。

お通夜にて

  • 2002.04.14 Sunday
  • 05:08
職場のご家族の方に不幸があって、お通夜に参列してきた。

焼香が終わって、お坊さんのお話があったのだが、その中の言葉で「人様や仏様に手を合わせているつもりが、実は自分の欲に手を合わせてはいないでしょうか」というのがあった。

私の通っている自助グループでは、本の読みあわせをするのだが、その中にも「私の意志が行われるのではなく、神の意志が行われますように」とある。ははあ、言っていることは一緒だなあ、と感じた。
「実際、つまらない欲をかいても結局は身にならないし、「面倒だなあ」と思うほうを選択したほうが、自分にとってプラスになることが多いものだ。

「神」なんて言われると、あやしい新興宗教じゃないかと疑ったりもしたが、このグループの発祥がアメリカなので、文化の違いもあるし、とっつきにくいところがあるのは仕方が無い。

わたしは、信仰をもつこと自体は、ひとつも悪いことではないと思う。信じる対象を間違えたり、むやみに押し付けたりすると人様に迷惑をかけることになる。そのへんの見極めがむつかしかったりするのだが。

どうしても手に入れたいもの。

  • 2002.04.06 Saturday
  • 15:56
それさえ手に入れば、すべてうまくゆくはずのもの。

でも、決して自分のものにはならない、そう認めるのはとても辛いことだった。
なぜなら、今までの自分の考え方、生き方の基準としていたものをすべて捨てなければならなかったから。

今度こそ、うまくいくかもしれない、そうやって何度ダメになったことだろう。

わたしは、まだ余計なものにしがみついていないだろうか。

夢とか目標とか、それは今日をよりよく生きるためのひとつの道具に過ぎないのであって、それらにしばられるものではないのだ。

ロバを連れた親子

  • 2002.04.06 Saturday
  • 15:15
有名なイソップ童話のなかの話。
父と子がロバを連れて歩いていると、通りすがりの人から「せっかくロバを連れているのに、どうして乗って行かないんだ?」と言われたので子どもをロバに乗せてみると、今度は別の人から「親を思いやらない子だ」と批判された。
それではということで父が載ってみると、これまた「子どもを歩かせるなんてひどい親だ」、ついにふたりがロバの背にまたがると、「ロバがかわいそうだ」と避難され、嫌気のさした二人はロバを川へ放り込んで流してしまった…
だいたい、そんなあらすじだったはず。

自分が人からどう思われているかということばかりに囚われていた時期があった。人なんて、それぞれ勝手なことを言うものだ。そのときの機嫌の良し悪しで考えだって変わるだろう。だけどそれが受け入れられずに、他人からの評価にとらわれてしまって、いつもおどおどしていた。
そのくせ、期待通りの反応が返ってこないと、「自分はこんなに無理をしているのに」と相手を逆恨みしていた。

卑屈になるのでも、上から見下ろすのでもなく、相手の立場になって声をかけてあげること。受け入れられたら「もうけもの」だし、はねつけられても、わたしはわたし。
だって、自分が納得して起こした行動だもの。

口はひとつ、目と耳はふたつ

  • 2002.04.02 Tuesday
  • 21:00
言いたいことがあるのだったら、その二倍は人の話を聞き、まわりを見ましょう、ということなのだろう。

わたしが自助グループのミーティングに出席し始めた頃は、「何かを喋らなければいけない」と緊張してばかりだった。少し慣れてくると、今度は愚痴や不満を吐き出したくて仕方なかった。人の話が耳に入りだしたのは、しばらく経ってからのことだ。

それにつれて、ミーティング場は「自分の膿を出すところ」から、「人のパワー(またはときどき毒気)を一緒に持って帰る(または持って帰ってしまうところ)」に変わってきた。
「わたしはあの人とは違う」と思っていたのが「あれはわたしの過去の姿であり、同時に未来の姿かもしれない」と感じるようになった。

わたしたちの五感は、外の世界を認識するためにあるのだろう。今までのわたしは、自分の内面や過去を見つめようとして、ひたすら自分の頭の中で「ああでもない、こうでもない」と考えてばかりいた。

ほんとうの自分とやらがどんなものなのかまだよくわからないが、とにかく今の時間を大切にしていきたい。

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