今年に入ってから実家の父の介護問題で慌ただしく過ごしていました。このたび無事施設入居の運びとなりました。
母ともども、ほっとしております。
私は県外に住んでいたのでたいした労力は払っていないのですが、認知症の主な症状が母に対する暴言、八つ当たり系のソレで、私も日々生活する中でふとどんよりとした気分になっておりました。
父が入居したと聞いて気が抜けてしまったのか、その後数日は眠くて眠くて仕事以外は家でゴロゴロ、なんのやる気も起こりませんでした。
私は県外に住んでいます。おいそれとは帰れないので、母親とは定期的に電話をしていました。数年前から父が年齢なりにボケてきているという話は聞いていましたが、ここ1年の間に急に体調も情緒も悪化しているようでした。
ある日、いつものように私から母に電話をしたときのこと。母の様子が明らかにおかしいのです。
まあまあ長いこと自助グループに関わっていると、短いやり取りでも相手の精神状態が想像できるようになります。
数日後、私は母に承諾を取らずに「本来は私が帰省して直接お伺いするべきですが……」と実家エリア担当の地域包括センターに電話で相談しました。それが今年の2月。で、事がすすんで10ヶ月足らずで父は老人ホームに入居とあいなりました。
母、どれだけ我慢してたんだよ。
介護サービスを受けるうえで、娘であるところの私がどこまでできるか/できないかを明確にする必要があったのですが、これが期せずして父親との関係を改めて見直すよい機会になりました。
遠距離介護については事前に本を読んで情報を集めていたのが助かりましたし、親子関係の精神的な部分についても自助グループで棚卸しを済ませていたのでさほど悩まずに済みました。
子どもの時は自分が一人っ子で寂しいと思うときもありましたが、こういう介護の話になると、頼れる兄弟姉妹はいないが逆に揉めようがもなく、自分の好きなようにできたので気楽でした……まあ、こう言えるのも、介護制度のおかげです。
このたびは介護関係の皆様にとても助けていただきました。引き続きお世話になります。
しかし、しかし。認知症の父を見ると、人の心とは?個性とは?長生きとは?と考えさせられます。どうせ朽ちて死んでいくのだから先々のことは考えず今を生きよう、とは頭ではわかっていても心がついていきません。
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ふつうの掃除は12月に済ませたのですが、なんだかスッキリしません。その原因が「部屋の広さのわりに物が多過ぎる」ことだと気づき、不要品の処分を始めたところ止まらなくなってしまいました。お彼岸までに済んでよかったです。
処分したものはおおまかに次の通りです。自分が必要かどうか判断しやすい物、つまり執着が少ない物から処分しました。
1.大型ゴミ:とっくに用済みなのに処分するための手続きが面倒なので置きっぱなしにしていたもの
2.書類:いつか整理しないとと思いつつ放置していたらかなりの量に
3.頂き物:自分の好みではないが贈ってくれた人の念を感じてなんとなく捨てられないもの
4.思い入れのある物:就職した時に買ったスーツ、ミュージシャンのCDやコンサートパンフ、ぬいぐるみ、キャラクターグッズなど。
まずは1の大型ゴミ。やはり面倒くさかったです。都合のよい収集日を調べてネットで申し込み、手数料を収めて、当日の朝にゴミ出し。家電製品なら納得できるのですが、使わなくなった健康グッズや収納ケースにもこまごまとお金がかかりました。今度から長さ30センチ以上の物を買うときはよく考えます。
2の書類。期限切れの証書や古い日付の刊行物がぽろぽろ出てきました。ファイルに投げ入れたままではいけませんね。
3の頂き物。申し訳ないですが「ありがた迷惑」系のものです。これはこちらのブログ記事を参考にしました。気持ちの切り替えができたので割り切って捨てられました。
罪悪感を感じる必要なし、人からもらった贈り物を捨てる3つのコツ (『筆子ジャーナル』筆子さんのブログ記事)
https://minimalist-fudeko.com/getting-rid-of-gifts/
さて、私がいちばん大変だったのは4の「思い入れのある物」。他人から見ればガラクタでも自分にとっては大切なものです。
就職した時に買ったスーツ
思い出の品であるのはもとより、表地がウール100%で仕立てられているのがもったいなく感じて30年以上も捨てられませんでした。でも、お直しするにもデザインが古すぎるし、今の自分の体系にも合わないのでエイヤッと処分しました。
ぬいぐるみ・キャラクターグッズ
永らく部屋に飾っていないものを慈善団体に送りました。手数料はかかりましたが自分でゴミ袋に入れて捨てるのはかわいそうだったので。お別れが辛いので、ぬいぐるみはもう増やしません。もし貰ったら情がわかないうちに寄付します。
ミュージシャンのCDやコンサートパンフ
部屋の中でいちばん場所を取っていて、思い入れがあるのがこれらでした。
私は服や化粧品には関心がないので捨てるほどもなかったのですが(むしろ極力少ない数でこなしたい)、音楽が好きなんですよねえ。今回仕分けするのにいちばん悩みました。結局、悩んだ割には棚の中身はたいして減らせませんでした。
CDもパンフレットも、青春時代に熱中したときに買ったものは残しました。
CDはいまの時代のものより音質が劣るのですが、捨てられませんでした。
パンフレットはいつの頃からかコレクション感覚で揃えていましたので、熱中する時期を過ぎても惰性で買っていたものは思い切って処分しました。
その代わり、と言っては失礼ですが、興味本位で買ったCDのうち現在サブスクで聴けるもの(そしてもし配信停止になっても後悔しないもの)は捨てました。ケースを分解して歌詞カードとプラスチックを分別してゴミ袋に入れて……と、一連の作業にけっこう時間を取られました。捨てながら紙やプラスチックがもったいないなあとも思ったり。これからはよくよく吟味して買います。その意味ではサブスクは気軽に聴けるからありがたいですね。音楽家にとっては困った時代なのかもしれませんが。
ずっと「自分の思い入れに踏ん切りがつけられるかどうか」と思案しながらの作業でした。何も考えずにどんどんゴミ捨てすればいいだけならここまで時間はかからなかったのでしょうが。
スキマ時間を使いながら作業しましたので身体は疲れませんでしたが、まあとにかく脳が疲れました。12ステップグループの棚卸し作業と同じくらいしんどかった気がします。
おかげさまで部屋もかなりスッキリしました。
チラシやダイレクトメールは受け取ったその日に処分するように心がけていますが、生活していくうちに自分の興味関心も変わり、またじわじわと物が増えていくかもしれません。心の棚卸しもそうですが、持ち物の棚卸しも定期的に必要だなあと気付かされた今シーズンの冬でした。
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私がいま50歳を過ぎてもとくに膝や腰に大きなトラブルがないのも、幼少時、中学生の成長期にひたすら歩いたおかげかもしれません。
このたび実家と母校を歩いて往復したことで発見がありました。 私が高校生になって太りはじめたのは、毎日4キロ歩くという習慣がなくなったのが原因でした。
はい、今ごろ気がつきました。
高校はバス通学でした。実家からバス停まではせいぜい数百メートル。高校の目の前にバス停がありました。徒歩での通学距離が、毎日4キロから1キロ程度に減ってしまったのです。
しかも中学校の時には校則で禁止されていた帰り道での買い食いができるようになったので、友達としょっちゅうお店に寄っては間食とおしゃべりを楽しんでいました。そして家に帰って2時間とたたずに夕食です。今までよりも食べる量が増えて、今までよりも身体を動かさなくなったら、当たり前ですが体重は増えます。増えなかったら病気です。
身体が重くなった気がして体重計に乗ってびっくりしたのは高1の夏休みでした。入学から約3か月、蓄積されたカロリーが体型の変化としてあらわれてくる頃です。
それから私の過激なダイエットと長い長い過食嘔吐の日々が始まりました・・・。
まあ、私の過食嘔吐については自身の性格や承認欲求の程度の問題が大きいのでいずれかかる病気だったろうと推測しますが、それでもあの高1の夏休みの時、冷静に「そりゃあ運動量が減ればそうなるよ」と受け止められていたら、もうちょっと健康的な方法で対処ができたのではないか?と今更ながら思いをめぐらせています。
そんなわけで、歩くことの大切さを再認識しましたので、1フロアぶんの階段でもいいので、意識して歩く距離を増やそうと思います。
年明け早々にまたしても感染拡大の影響により会場が借りられなくなっていたのですが、また今まで通りに開催できるようになりました。ほんとにこれで最後にしてほしいです。
ミーティングの始まる少し前に会場へ行き、メンバーと会い、雑談をする。今まで当たり前と思っていたことがどんなにありがたいか感じています。
当たり前と言えば、若い頃は元気なのが当たり前だと思っていました。
ミーティングに通い始め、徐々に身体が回復し始めたときもたしかにありがたいと感じたのですが、50歳を過ぎて、その頃とはまた違った心境にて健康のありがたさを強く感じております。過食が止まったころは「かつて持っていた体力を取り戻せた!」という喜びでしたが、今は「人生の折り返しを過ぎ徐々に衰えていく体力ではあるが、落ちていく坂道の傾斜を少しでもなだらかにしていこう」という思いです。
こちらのブログを開設したのが2002年(当初は別のブログサービスでした)、私が30代の頃です。
中学生の頃から15年も続いた過食嘔吐からの解放と、そのうれしさからブログを始めたように記憶しています。まあ思いつくままに言いたいことを書いていました。たとえば人間関係にまつわる出来事などにもすぐに反応して、自分の思いや意見を書き込んでいました。あの頃にSNSがあったら、プロフィールに「過食やお酒が止まっている期間」なども深く考えずに表示していたんじゃないでしょうか。まだソーシャルメディアが発達していなくてよかったです、ほんと。
現在でも、日々見聞きするものに思うことはあります。
しかし、私自身に「爆発するような喜怒哀楽のエネルギー」が減ってきたこともあり、様子見することが多いです。「怒」と「哀」はともかく「喜」と「楽」もしぼんできているのはどうかと自分で突っ込んでおりますが。
他人様と世の中はどうにも思い通りにはなりません。陰でそっと祈りつつ、普通の日常生活に感謝しながら日々を過ごしています。
日常をおだやかに過ごせること、そして、楽しいことだけでなく、悲しいこと、辛いこともシェアできる居場所があることが、いちばんありがたいです。
(追伸)
この記事を書いている最中に、あるお笑い芸人さんの訃報がありました。テレビを通してしか知りませんが、長年ご活躍されていて、私が過食でしんどかったときも、たくさん笑わせてもらいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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今年もミーティングをたびたび中止せざるを得なかった一年でした。それでも、飲酒や過食嘔吐を再発させずに過ごせました。このことは、何年経っても忘れずにいたいです。ミーティングや仲間へ感謝です。
私がAAのミーティングに行き始めたころ、大みそかは宿泊のできる施設をお借りして仲間のみんなと集まってミーティングをしたり、料理を手伝ったりしていました。遠方から訪れてくださるAAメンバーもいらっしゃいました。まだまだ不安定だった私にとって、この時間を仲間と一緒に過ごせたことは本当に救いでした。
もし、あの頃の精神状態の私が今のようなコロナ禍にさらされていたらどうなっていたかと思うと、ぞっとします。でも、20年前の私のように苦しみ、どうしようもない気持ちになっている人が、この晩にもきっといるのだろうと想像します。早く気軽に人が集まれるようになるよう、心から願っています。そして一人でも多くの人が私たちの集まりに足を運んでもらえるように、AA、OAという居場所を守り続けていこうと思います。
みなさま、今年一年おつかれさまでした。来る年も、健やかで平安な一年でありますように!
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じつは今週の初めにOAミーティングが予定されていたのですが、中止となってしまいました。会場をお借りしている施設側から「できれば中止をしてもらえないか」という依頼があったからだそうです。私の住む広島市では、新型コロナの感染者の人口あたりの割合が首都圏のそれを追い越す勢いなので、まあ仕方がないといえば仕方がないです。
そんないきさつがありましたので、ホームグループのミーティングも中止になるかと案じていました。しかし、こちらは施設側からの連絡はとくになく、昨晩つつがなく開催できました。
開催、と言っても一人ミーティングでしたが。
これもこういう状況なので仕方がないですね。BOX-916(AAの情報誌)を読んで、会ったことのない全国のメンバーのことを思ったりしながら過ごしました。30分ちょっと過ぎたところで切り上げて片づけをしました。
同じフロアでは他の自助グループさんがまだ話し合いをしている様子が伺えて、ちょっとほっこりした気持ちになりながら、会場を後にしました。
帰り道にぽつぽつとある居酒屋さんも軒並み休業中でした。大きな四角いバッグを背負った宅配サービスの配達員さんの自転車と何度もすれ違いました。大きな通りに出ると、ハザードランプをつけた乗用車が続いて並んでいます。しばらく進んでも車の列は途切れず、一車線をふさぐような感じさえあります。いったい何事だと不思議がっていたら、その先にデリバリーピザのお店がありました。
この冬は、今月の半ばに初雪が降りました。昨シーズンが暖冬だったぶん、寒さがこたえます。一年が過ぎるのはあっという間で、自分はまだ何にもしていないのに終わろうとしている感じがします。私のように夫婦二人でぼちぼちと暮らしていると、とくに「歳を取るほど時間が経つのが早い」のを痛感します。
この新型コロナ騒動も、これまで自分自身を悩ませる内向的な性格が今回は不幸中の幸いだったのか、人との交流を制限されてもさほど苦痛ではありませんでした。
お酒を飲まなくなってずいぶん経つし、大人数の会食は無駄に神経を使ってしまうので、少人数か、むしろ一人で食事をしたほうが気楽だし、仕事ももとから自転車通勤だし、行きつけのお店も近所の常連さんしか行かないようなお店ばかりだし、私自身はむしろホッとしたというか、「ああ、いままで生きてきた中で、はじめて世間が私の性格に寄ってきた気がする」とさえ感じました。
だからやっぱり今のこの状況はアカンですね......。
一時期はパートの日数もガクンと減ってしまい焦りましたが、結局自分ができることを繰り返すしかないのだと受け流しているうちに一年が経ったという感じです。ありがたいことです。
カレンダー、暦なんて人の都合で決めたものじゃないか、と思っていたのですが、まもなく来る新年でリセットされて、人と人がもっと自由に気楽にふれあえる、つながりあえる日常に戻れることを願ってます。そう、私が本音では「ちょっと面倒くさいなあ」と思うくらいの人づき合いができる世の中のほうが、ちょうどいいんだと思います。
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まずは、地元の動きから↓
広島県、休業要請の大半を解除 外出自粛は週末だけ 新型コロナ【動画】
(2020年5月15日付 「中国新聞デジタル」サイトの記事より)
5月15日の金曜日に、私の住む広島県では緊急事態宣言の対象地域からはずれました。
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そして、わたくしの日常です。↓
先日、近所のなじみのお店に、夫婦で夕食を食べに行ってきました。
私たちは外食に行くにしても、お店は近所の、それも決まったお店にしか行きません。
こちらのお店は常連さんがついているので、平常時からものすごく繁盛するということもなければ(失礼)、今回の騒動でも窮地に追い込まれることもなかったようで......いろいろ堪えているとは思いますが......マスターも奥さんもお元気そうでほっとしました。
街の中心部や観光地のお店はたいへんなのでは?と思っています。
【買い物】
スーパーにしてもドラッグストアにしても、これまでと客層が違ってきた?と感じます。
たとえば、会社帰りとおぼしき服装の方々。これまで夕食はお店で済ませていた人がお惣菜や冷凍食品を買いに来ているのかもしれません。あとオンライン飲み会のためのお酒とか。陳列棚をチェックすると特定の商品がゴッソリ品切れになっていたりするので、「ほお、いまどきの流行りのお酒はこれか」などと思っています。
それから、「もう、どうにも家の中に居るのが耐えられなくなったのかな......」という様子の、子連れのご家族とかもいます。子どもはねえ、もうねえ、しょうがないよねえ。
ただ、私よりちょっと上の年代の奥様方が連れ立ってぺちゃくちゃ喋りながら、ゆったり歩きながら店内を回っているところに遭遇した時は、正直あきれました。同時に、デパートとかショッピングモールは、こういう人たちの受け皿になっているんだなと思いました。早くそういうお店が再開して、そっちへ行ってほしいです。
私がふだん行くお店ですらそんな感じなので、ホームセンターや大型ディスカウントストアには行っていません。さいわい行く用事もないので......。
【自助グループのミーティング】
自助グループのミーティング会場は、まだ休業のままです。
このたび、休業要請の範囲が緩和されたので、再開されるのを期待していますし、施設の公式サイトもチェックはしているのですが、施設を利用している団体のなかには大人数が集まるところもあるでしょうから、まだ分かりません。
いまは、親しいメンバーとメールなどで連絡を取り合って過ごしています。
まあ、私は夫がメンバーですのでね......いやでも顔を合わせますので、とても恵まれております。
【病院】
持病があるので定期的に受診しないといけないのですが、
待 ち 時 間 が 少 な い !!
いやー、助かります!!これに関してはずっとこのままでいいです!経営しているほうはたまらないかもしれないけど。
先日、咳ぜんそくの治療で診察を受けたときは、「ここ(病院)が(感染の)リスクが高いので、お薬も2か月ぶん出しておきますね」と言われました。
【お仕事】
現在は、兼業主婦で複数のパートをかけもちしておりますが、5月上旬はシフトが減りました......。今月の後半は従来通りになったので、胸をなでおろしています。
これで生計が立てられなくなるということはないのですが、働けるものなら働きたいので。
極端な例えになるのは承知で書きますが、「自分の高齢の親の命と、自分の日々のお給料と、どっちが大事ですか?」って話になっちゃうのかなあと思ってみたりします。どっちも!なんですけど。なんかね、ニュースを見ててもね、うまいこと落としどころが見つかるといいですよね。
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と、まあ、こんな感じでおかげさまでそれなりに過ごしております。
精神的なストレスが少ないのも、生活習慣として「お酒を飲まない」ことと「飲まない友達」がいるのが大きいです。20年前の自分のメンタルだったらどうなっていたことやらと思います。
次にこのブログを書く時には、自助グループが開催できるようになっていたらいいなあ。
それでは。
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https://twitter.com/yamakai74/status/1257628949712011265?s=20
https://twitter.com/yamakai74/status/1257904764387340290?s=20
2020年1月半ばから現時点(5月アタマまで)の新型コロナウィルス感染に関して、おもに日本での動きをまとめた表です。いやもう、すばらしいスキルをお持ちの方がいらっしゃる!
「シェアはご自由にどうぞ」とありましたので、私のこちらの日記がてらのブログにもリンクさせていただきました。
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さて近況ですが。
もともとゴロゴロして過ごすのが苦にならないわたくし、GWもゴロゴロして過ごしました。ベランダのプランターや鉢植えの土を入れ替えて、すっかり大仕事をこなした気分でおります。夫が電子レンジでプリンを作ってくれて、私もごちそうになりました。相変わらず料理は夫のほうがうまいです。
帰省できないので、実家の母とは電話で連絡を取るようにしているのですが、むしろ平常時よりも連絡の回数が増えました。両親は年齢から考えると「べつに新型コロナじゃなくても、風邪を引いたらやばい」ので、くれぐれも体調に気をつけるように伝えています。
子育てまっさかりなことを考えて、ふだんは私も遠慮してあまり連絡を取らなかった友だちにも、これを機会に思い切ってメールしました。「うちの子たちはみんなインドア派なので、親としてはラクさしてもらってるよ」とのこと。「メールありがとね!」と一言かけてもらって、私もうれしかったです。
ただ、やっぱり気になるのは自助グループのミーティングがまだ開催できないことですね。いちおう5月いっぱいは緊急事態宣言が続くことになったので、あと一か月......。もしそれ以上続くようなら、いよいよ対策を考えないといけません。
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私たちの自助グループは、公共の施設を利用しています。このニュースを聞いたときに、遅からずミーティングの開催にも影響が出てくるだろうと予想していました。
先週末に施設の担当の方から、全館休館のお知らせがありました。期間は「ひとまず」来月の半ばまでだそうです。
じゃあ他の会場を探そうとか、そういうレベルの状況ではありません。コロナ陽性だろうが陰性だろうが、家にいましょう、というのが今です。どうしようもありません。
しばらくは、親しい仲間どうしで、オンラインで連絡を取り合うのが現実的なのかなあ?と考えています。
仲間とも「当たり前だったことが、当たり前ではなかった」「当たり前すぎて、感謝の気持ちを忘れていた」ことが次々と分かってくるよね」という話をしました。
自分が長年こうやってブログを書いているのに矛盾をしているようですが、こと自助グループの仲間とは、ネットを介した分かち合いが、私は苦手です(優劣の問題ではなく、自分が苦手だ、という意味ですので念のため)。なので、一日でも早く、少人数でも仲間と集まれる日が戻ってくることを願っています。
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こちらのブログでは、自分のメンタルヘルスに関する事柄に焦点をあてて書き残す方針だったのですが、この前代未聞のできごとのさなかに、私がどんな生活を送っているか、覚え書きがてら記録を残しておくことにします。
さて、本題。
4月の時点での私の状況は……あんまり変わってません。
(注:このブログを書きおえたあとで、私の住む県内全域に、平日を含む外出自粛要請が出たことを知りました。今後状況が変わるかもしれません)
家族も夫婦二人なので、淡々と生活をしております。子どもさんのいるご家庭はさぞ大変だろうとお察しします。
夫も私も、ながらくお酒を飲まない生活を送っているので、会食のお付き合い(とくに義理で行くようなこと)はとうの昔になくなっています。ここ2、3年は外食もめったにしなくなりました。ということで、一日の過ごし方もとくに変わっていません。
手洗いと、充分な睡眠の確保を心がけながら過ごしています。今までより早く寝るようにしたおかげか、熟睡感も得られるようになりました。睡眠は大事!
数年前に地元で水害があったときに幹線道路が寸断されて、日用品の一部が不足したり、先方へ荷物が送れなかったりした時期がありました。その時に比べれば、買い物ができるのはありがたいです。お店のスタッフさんや運送業の皆様には本当に感謝です。今年は災害がありませんように!
私は今はパートづとめです。ニュースを聞いて不安に思っていましたが、今月は影響はありませんでした。ただ、仕事内容を考えると、今後シフトが減る可能性はあります。先のことを心配し過ぎてもしょうがないので、自分の体調を整えることを最優先に、コツコツとこなしていこうと思います。
自助グループのミーティング......こちらも変わりません。もともと参加人数が少なく、「密」の反対の「疎」だったので、少ないままです(それはそれで悲しい)。
会場も公営の施設をお借りしていますが、いつもと変わらず使わせてもらっています。
娯楽のお話しになりますが、春からのお楽しみだった恒例の野球中継がないので、夕食後の時間がぽっかり空いてしまいました。動画サイトを見たり、好きなミュージシャンのCDを聴いたり、手芸をしたりして過ごしています。物を作るっていいですね。受け身で時間を過ごすよりも、手を動かして何かを作っていると充実感があります。
……これまで、なんとなく試合中継を見ていたけど、こういう時間の過ごし方もいいかもしれません。
家で過ごすことが苦にならないのは、私の性格がもともと内向的なのも関係していると思います。
それから、年を重ねて、賑やかな場所に行ったり夜まで飲み明かしたりとかいうことも「まあ、若いうちにひととおり体験したからいいや」と納得しているから、というのもあるでしょう。
性格や好みは人それぞれだから、大勢でワイワイ騒ぐのが好き、という方にはしんどい状況だと想像します。逆に私が「毎日スポーツをして、親睦の飲み会に参加して、初対面の人や軽いお付き合いの人にもどんどん話しかけろ、家には極力帰るな」って言われたら、地獄ですもん。
……さて、そんな私でも残念なことが一つ。
365日のうち360日は地味な生活を送っていますが、だからこそ、たまに行く野球観戦やライブを楽しみにしていました。これが無期限でお預けなのが悲しいです!
インターネットがあるので、好きなバンドならば、ライブ配信があるのなら有料でも見たい思っているのですが、今はメンバーがお互いに会いに行くことそのものを見合わせているようなので、これまた難しいですね。
おそらくこういう生活が長く続くでしょうから、過度に不安にならず、これまで通り「今日一日」で過ごしていきたいです。
↓小粒ですがお買い得だったので買ってきたイチゴ。買い物もなるべくまとめて行くようにしています。とはいえ果物は新鮮なうちに食べたい......。
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時間帯もだいたい決まっていて、夜眠るときに咳が出るのです。
あおむけで寝ているときに特によく出るので、横向きに姿勢を変えると少しマシになるのですが、ウトウトし始めた頃にケホケホ!コンコン!と、自分の咳で起こされる始末。
「まさかのアレか⁉」
......と疑いましたが、症状は咳だけで、熱や頭痛もなく、鼻水も出ません。
とはいえ、咳が続くだけでぐったり疲れます。「ウトウトからのコンコン!」も3晩つづきました。こうなると頭もボーッとしますし、日常生活に支障が出ますので、家族にすすめられて呼吸器科へ行くことにしました。この時期、病院にはなるべく行きたくなかったのですが、メンタル疾患のある私にとって、不眠は大敵です。
この時期だけに(注:3月中旬)病院の玄関のドアに、コロナウィルス対策として患者さんへの説明書きや問い合わせ先の電話番号が書かれた紙が貼られていました。ものものしい雰囲気に若干ひるむわたくし。
受付で「咳が止まらない」旨を伝えますと、事務の方が間髪入れずに「熱はありますか?」と強めの口調で確認。ええ、お気持ちは分かります。
「熱は出てないです。ずっと平熱です」と答えると、問診票を渡されました。
この状況下だからか、患者さんも少なめです。テレビの音が静かな待合室に響きます。番組は当然ながらコロナウィルスの話題。私は画面をぼんやり眺めていましたが、さほど待たずに診察室へ通されました。
先生は淡々と問診をされ、看護師さんが肺活量の検査器?のようなものを持ってこられました。「はい、これをくわえて、一気に息を吸って、吐いてください」。スー、ハーー。機械から記録紙がスルスルと出てきます。「ああ...ここが基準値なのですが、その半分しか出てないですね」。あらら、自分では思いっきり吸い込んだつもりだったのに。
「アレルギー性の咳喘息の可能性が高いですね。たとえば今まで掃除をしていてホコリがたった時に咳き込んだりとか、ありました?」「...ないですねえ」「そうですか。まあ、今年はコロナでもちきりでほとんど言われてないですけど、黄砂も飛んできてますしね。外出するときはマスクをしてくださいね。あと、家には空気清浄機も置いてください」
「万が一、肺炎の可能性もないわけではないので、マイコプラズマ肺炎とか。血液検査もしておきますね」。いやいや、コロナもだけどマイコプラズマ肺炎も怖いですカンベンしてください......と思いながら、採血をされました。
当日は、5日分の抗生物質と喘息用の吸入薬と飲み薬をもらって帰宅しました。後日、先生が血液検査の結果(陰性)を電話してくださって、診断は「咳喘息」で確定。先生いわく「咳がおさまるまで、ちょっと長くかかると思いますよ」とのことでした。
病院に行った当日の晩はまだ咳がでましたが、次の日の晩に、やっとぐっすり寝られました。
さてあれから3週間、吸入薬も効いて、夜も眠れております。
ただ、気管支が過敏になっているようで、乾燥した部屋にいると、急に咳き込むことがあります。のど飴をなめたり、水分をちびちび摂ったり、首を冷やさないように、ネックウォーマーやスカーフをして過ごしています。屋外で咳の発作が出ると、いまの時期、気まずいんですよね(今日も2回出ました)。花粉症や喘息の方々の心情、お察しします。
私の場合はホコリ対策でマスクが欲しいので、布マスクでもくれるんならなんぼでももらいますよ。というか、発熱していないだけで感染しているかもしれませんし、そう思って行動したほうが腹がくくれます。不織布のマスクは医療に携わっている方々に優先的にまわしていただければ......と思います。
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一年がほんとうに早いです。
何事もなく無事に過ごせたから良いと考えたらよいのか?精神的に成長をしていないと考えて、自戒すべきか?自分ではよく分かりませんが、
今年も、生き残れました!
2010年代が終わる。
21世紀に突入して20年が経とうとしている。
……という事実にもびっくりです。
私の子どもの頃のイメージだと、もう車が空を飛んでいたり、人間とよどみなく会話ができるアンドロイドが出現していそうですが、そこまでには至っていませんね。
そのかわり、通信関係の発達は目覚ましいものがあります。
このような個人の日記でも、ネットの向こう側の誰かに向けて残せるようになったのですから。
自分の近況になりますが、自助グループ関連では、新しく来た方のお話を聞いて初心に帰る機会が多くて、ほんとに周りのみんなに助けてもらっていますし、ミーティングに足を運び続けることが大事なんだと、あらためて感じています。
こちらのブログも、来年は更新回数を増やしたいですね。
摂食障害からの回復をテーマに始めたブログですが、これからは年齢的に、更年期の葛藤の記録がメインになるかもしれません??
ひきつづきよろしくお願いします。
皆様も、よいお年をお迎えくださいませ。
備忘録がてら、こちらのブログにも書いていますが、前回の記事が4年前になっていますね。
その前回の記事のとき(2015年・治療8年目)に
>毎日1回1錠の処方から、1日おき1錠に変更になりました。
とありますが、たしか去年ぐらいからかな?3日おき1錠にさらに減薬されていました。
今回、薬をのまずに2か月ほど様子をみて、またそこで血液検査をして、その後の処方が決められるそうです。
私の場合は、バセドウ病だと分かってからは、投薬治療がスムーズにいって、おかげさまで日常生活に支障なく過ごせました。
お仕事も事務職だったし、一刻も早く治療しないといけない!という立場でもありませんでしたから。ときどきアスリートの方が闘病されているのをメディアで見聞きすることがありますが、あの方たちは身体を酷使して記録、結果を残さないといけませんもんね。大変だと思います、ほんとうに。
外見の変化についてですが、私に出た症状は「喉元」と「目元」でした。
初期のころには喉元がぷっくりはれたり、眼球が少し出たかな?と心配になったこともありました。でも、思い悩むほどのことにはなりませんでした。
喉元のふくらみも2、3年かけて徐々に小さくなっていって、今はありません。
目はどうかなあ?昔の自分の写真を見てみると、発症する前の目元とは、やはりちょっと違いますね。自分では少し驚いた、ということでも「驚いた!!」みたいな表情になっちゃいます。
でも、遠慮なく物を言えるはずの親しい家族から「アンタほんとに人相が変わったね」と言われたこともないので、まあこんなものかと思っています。
主治医の話によると、ふたたび投薬が開始になる確率は「五分五分」だそうなので、正直、期待はしておりません……。
ではありますが、薬を飲まなくていい生活は単純に、ラク!なので、できればこのまま経過観察が続いてほしいです。
さて、どうなりますやら、神様におまかせですね。
]]>マツダスタジアムでは、不定期ですが球場内のコンコースに入れる日があります。実はつい最近になってこのことを知りまして、今日は自分の休みと実施日がタイミングよく重なったので、話のタネに行ってきました。
試合がないので、スタジアムの入口周辺ものどかな雰囲気です。
立ち入りできるのはコンコースのみで、スタンドの中には入れません。平日でしたが、私と同じように散歩にきたとおぼしき人や親子連れ、社会見学の小学生たちなど、そこそこ人がいました。
グラウンドでは、どちらの団体かは分からなかったのですが、試合が行われていました。
これらの席がカープ戦となるとぎっしり埋め尽くされるのですから、近年の盛り上がりはすごいです。
スタンドの中をもくもくとお掃除していた作業員さん。お仕事お疲れ様です。
ここにもカープ坊やがいました。
交流戦の期間中とあって、こんなノボリがありました。どっちが強いの?……今のところ、パリーグが優勢ですね……。
ぐるっと球場内をひと回りしただけなのですが、ところどころで立ち止まっては景色を眺めたりしていたので、気がつけば小一時間経っていました。お昼になったので帰ることに。球場の入口に「オールスターゲーム」の投票コーナーが設けられていましたので、投票しました。私の好きな選手が出場できたらいいな。
野球の試合を見るわけでもないのにわざわざ行くのも……と思っていましたが、野球場なのにのんびり過ごせて、意外と楽しかったです。よい気分転換になりました。
帰り道に空を見上げると、少し厚めの雲が浮かんでいました。天気予報では明日は雨模様とのこと。いよいよ梅雨入りのようです。
小学校に上がるまでの年齢ならば、まあなんとか、メンバーのプライバシーに差し支えはないのでは……と考えたのです。
幸い、広島市内には完全クローズド(当事者のみ)のミーティングが別の会場で行われています。どちらに出席したいかは、参加される方に選んで頂くことにしました。
今回の変更を機会に新しい方が来てくださればと思っています。
このブログはほとんど私の備忘録となっていますが、一応ミーティングのご案内をいたしますね。
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広島ひまわりグループ
第1・第3月曜日 13:00〜14:00
東区地域福祉センター
広島市東区東蟹屋町9-34 東区総合福祉センター内
JR広島駅 新幹線口より徒歩15分
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なお、「食べ物の問題で悩んでいる」方、ご本人だけが参加できるミーティングは、下記の日時で開催しております。
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ひろしまグループ
エソール広島 803号室/広島市中区富士見町11‐6
毎週日曜日 18:00〜19:00
市電(広島電鉄)「比治山(ひじやま)」線 比治山下(ひじやました)電停 徒歩15分/または 広島バス26番・23番 富士見町バス停すぐ/または 広電バス12番 保健所前バス停 徒歩5分
http://oa-hiroshima.sakura.ne.jp/
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以上です。
食べ物の問題で悩んでいる方が、見ていて下さるとよいのですが……。
お待ちしております。
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