今年に入ってから実家の父の介護問題で慌ただしく過ごしていました。このたび無事施設入居の運びとなりました。
母ともども、ほっとしております。
私は県外に住んでいたのでたいした労力は払っていないのですが、認知症の主な症状が母に対する暴言、八つ当たり系のソレで、私も日々生活する中でふとどんよりとした気分になっておりました。
父が入居したと聞いて気が抜けてしまったのか、その後数日は眠くて眠くて仕事以外は家でゴロゴロ、なんのやる気も起こりませんでした。
私は県外に住んでいます。おいそれとは帰れないので、母親とは定期的に電話をしていました。数年前から父が年齢なりにボケてきているという話は聞いていましたが、ここ1年の間に急に体調も情緒も悪化しているようでした。
ある日、いつものように私から母に電話をしたときのこと。母の様子が明らかにおかしいのです。
まあまあ長いこと自助グループに関わっていると、短いやり取りでも相手の精神状態が想像できるようになります。
数日後、私は母に承諾を取らずに「本来は私が帰省して直接お伺いするべきですが……」と実家エリア担当の地域包括センターに電話で相談しました。それが今年の2月。で、事がすすんで10ヶ月足らずで父は老人ホームに入居とあいなりました。
母、どれだけ我慢してたんだよ。
介護サービスを受けるうえで、娘であるところの私がどこまでできるか/できないかを明確にする必要があったのですが、これが期せずして父親との関係を改めて見直すよい機会になりました。
遠距離介護については事前に本を読んで情報を集めていたのが助かりましたし、親子関係の精神的な部分についても自助グループで棚卸しを済ませていたのでさほど悩まずに済みました。
子どもの時は自分が一人っ子で寂しいと思うときもありましたが、こういう介護の話になると、頼れる兄弟姉妹はいないが逆に揉めようがもなく、自分の好きなようにできたので気楽でした……まあ、こう言えるのも、介護制度のおかげです。
このたびは介護関係の皆様にとても助けていただきました。引き続きお世話になります。
しかし、しかし。認知症の父を見ると、人の心とは?個性とは?長生きとは?と考えさせられます。どうせ朽ちて死んでいくのだから先々のことは考えず今を生きよう、とは頭ではわかっていても心がついていきません。
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ふつうの掃除は12月に済ませたのですが、なんだかスッキリしません。その原因が「部屋の広さのわりに物が多過ぎる」ことだと気づき、不要品の処分を始めたところ止まらなくなってしまいました。お彼岸までに済んでよかったです。
処分したものはおおまかに次の通りです。自分が必要かどうか判断しやすい物、つまり執着が少ない物から処分しました。
1.大型ゴミ:とっくに用済みなのに処分するための手続きが面倒なので置きっぱなしにしていたもの
2.書類:いつか整理しないとと思いつつ放置していたらかなりの量に
3.頂き物:自分の好みではないが贈ってくれた人の念を感じてなんとなく捨てられないもの
4.思い入れのある物:就職した時に買ったスーツ、ミュージシャンのCDやコンサートパンフ、ぬいぐるみ、キャラクターグッズなど。
まずは1の大型ゴミ。やはり面倒くさかったです。都合のよい収集日を調べてネットで申し込み、手数料を収めて、当日の朝にゴミ出し。家電製品なら納得できるのですが、使わなくなった健康グッズや収納ケースにもこまごまとお金がかかりました。今度から長さ30センチ以上の物を買うときはよく考えます。
2の書類。期限切れの証書や古い日付の刊行物がぽろぽろ出てきました。ファイルに投げ入れたままではいけませんね。
3の頂き物。申し訳ないですが「ありがた迷惑」系のものです。これはこちらのブログ記事を参考にしました。気持ちの切り替えができたので割り切って捨てられました。
罪悪感を感じる必要なし、人からもらった贈り物を捨てる3つのコツ (『筆子ジャーナル』筆子さんのブログ記事)
https://minimalist-fudeko.com/getting-rid-of-gifts/
さて、私がいちばん大変だったのは4の「思い入れのある物」。他人から見ればガラクタでも自分にとっては大切なものです。
就職した時に買ったスーツ
思い出の品であるのはもとより、表地がウール100%で仕立てられているのがもったいなく感じて30年以上も捨てられませんでした。でも、お直しするにもデザインが古すぎるし、今の自分の体系にも合わないのでエイヤッと処分しました。
ぬいぐるみ・キャラクターグッズ
永らく部屋に飾っていないものを慈善団体に送りました。手数料はかかりましたが自分でゴミ袋に入れて捨てるのはかわいそうだったので。お別れが辛いので、ぬいぐるみはもう増やしません。もし貰ったら情がわかないうちに寄付します。
ミュージシャンのCDやコンサートパンフ
部屋の中でいちばん場所を取っていて、思い入れがあるのがこれらでした。
私は服や化粧品には関心がないので捨てるほどもなかったのですが(むしろ極力少ない数でこなしたい)、音楽が好きなんですよねえ。今回仕分けするのにいちばん悩みました。結局、悩んだ割には棚の中身はたいして減らせませんでした。
CDもパンフレットも、青春時代に熱中したときに買ったものは残しました。
CDはいまの時代のものより音質が劣るのですが、捨てられませんでした。
パンフレットはいつの頃からかコレクション感覚で揃えていましたので、熱中する時期を過ぎても惰性で買っていたものは思い切って処分しました。
その代わり、と言っては失礼ですが、興味本位で買ったCDのうち現在サブスクで聴けるもの(そしてもし配信停止になっても後悔しないもの)は捨てました。ケースを分解して歌詞カードとプラスチックを分別してゴミ袋に入れて……と、一連の作業にけっこう時間を取られました。捨てながら紙やプラスチックがもったいないなあとも思ったり。これからはよくよく吟味して買います。その意味ではサブスクは気軽に聴けるからありがたいですね。音楽家にとっては困った時代なのかもしれませんが。
ずっと「自分の思い入れに踏ん切りがつけられるかどうか」と思案しながらの作業でした。何も考えずにどんどんゴミ捨てすればいいだけならここまで時間はかからなかったのでしょうが。
スキマ時間を使いながら作業しましたので身体は疲れませんでしたが、まあとにかく脳が疲れました。12ステップグループの棚卸し作業と同じくらいしんどかった気がします。
おかげさまで部屋もかなりスッキリしました。
チラシやダイレクトメールは受け取ったその日に処分するように心がけていますが、生活していくうちに自分の興味関心も変わり、またじわじわと物が増えていくかもしれません。心の棚卸しもそうですが、持ち物の棚卸しも定期的に必要だなあと気付かされた今シーズンの冬でした。
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私がいま50歳を過ぎてもとくに膝や腰に大きなトラブルがないのも、幼少時、中学生の成長期にひたすら歩いたおかげかもしれません。
このたび実家と母校を歩いて往復したことで発見がありました。 私が高校生になって太りはじめたのは、毎日4キロ歩くという習慣がなくなったのが原因でした。
はい、今ごろ気がつきました。
高校はバス通学でした。実家からバス停まではせいぜい数百メートル。高校の目の前にバス停がありました。徒歩での通学距離が、毎日4キロから1キロ程度に減ってしまったのです。
しかも中学校の時には校則で禁止されていた帰り道での買い食いができるようになったので、友達としょっちゅうお店に寄っては間食とおしゃべりを楽しんでいました。そして家に帰って2時間とたたずに夕食です。今までよりも食べる量が増えて、今までよりも身体を動かさなくなったら、当たり前ですが体重は増えます。増えなかったら病気です。
身体が重くなった気がして体重計に乗ってびっくりしたのは高1の夏休みでした。入学から約3か月、蓄積されたカロリーが体型の変化としてあらわれてくる頃です。
それから私の過激なダイエットと長い長い過食嘔吐の日々が始まりました・・・。
まあ、私の過食嘔吐については自身の性格や承認欲求の程度の問題が大きいのでいずれかかる病気だったろうと推測しますが、それでもあの高1の夏休みの時、冷静に「そりゃあ運動量が減ればそうなるよ」と受け止められていたら、もうちょっと健康的な方法で対処ができたのではないか?と今更ながら思いをめぐらせています。
そんなわけで、歩くことの大切さを再認識しましたので、1フロアぶんの階段でもいいので、意識して歩く距離を増やそうと思います。
年明け早々にまたしても感染拡大の影響により会場が借りられなくなっていたのですが、また今まで通りに開催できるようになりました。ほんとにこれで最後にしてほしいです。
ミーティングの始まる少し前に会場へ行き、メンバーと会い、雑談をする。今まで当たり前と思っていたことがどんなにありがたいか感じています。
当たり前と言えば、若い頃は元気なのが当たり前だと思っていました。
ミーティングに通い始め、徐々に身体が回復し始めたときもたしかにありがたいと感じたのですが、50歳を過ぎて、その頃とはまた違った心境にて健康のありがたさを強く感じております。過食が止まったころは「かつて持っていた体力を取り戻せた!」という喜びでしたが、今は「人生の折り返しを過ぎ徐々に衰えていく体力ではあるが、落ちていく坂道の傾斜を少しでもなだらかにしていこう」という思いです。
こちらのブログを開設したのが2002年(当初は別のブログサービスでした)、私が30代の頃です。
中学生の頃から15年も続いた過食嘔吐からの解放と、そのうれしさからブログを始めたように記憶しています。まあ思いつくままに言いたいことを書いていました。たとえば人間関係にまつわる出来事などにもすぐに反応して、自分の思いや意見を書き込んでいました。あの頃にSNSがあったら、プロフィールに「過食やお酒が止まっている期間」なども深く考えずに表示していたんじゃないでしょうか。まだソーシャルメディアが発達していなくてよかったです、ほんと。
現在でも、日々見聞きするものに思うことはあります。
しかし、私自身に「爆発するような喜怒哀楽のエネルギー」が減ってきたこともあり、様子見することが多いです。「怒」と「哀」はともかく「喜」と「楽」もしぼんできているのはどうかと自分で突っ込んでおりますが。
他人様と世の中はどうにも思い通りにはなりません。陰でそっと祈りつつ、普通の日常生活に感謝しながら日々を過ごしています。
日常をおだやかに過ごせること、そして、楽しいことだけでなく、悲しいこと、辛いこともシェアできる居場所があることが、いちばんありがたいです。
(追伸)
この記事を書いている最中に、あるお笑い芸人さんの訃報がありました。テレビを通してしか知りませんが、長年ご活躍されていて、私が過食でしんどかったときも、たくさん笑わせてもらいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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今年もミーティングをたびたび中止せざるを得なかった一年でした。それでも、飲酒や過食嘔吐を再発させずに過ごせました。このことは、何年経っても忘れずにいたいです。ミーティングや仲間へ感謝です。
私がAAのミーティングに行き始めたころ、大みそかは宿泊のできる施設をお借りして仲間のみんなと集まってミーティングをしたり、料理を手伝ったりしていました。遠方から訪れてくださるAAメンバーもいらっしゃいました。まだまだ不安定だった私にとって、この時間を仲間と一緒に過ごせたことは本当に救いでした。
もし、あの頃の精神状態の私が今のようなコロナ禍にさらされていたらどうなっていたかと思うと、ぞっとします。でも、20年前の私のように苦しみ、どうしようもない気持ちになっている人が、この晩にもきっといるのだろうと想像します。早く気軽に人が集まれるようになるよう、心から願っています。そして一人でも多くの人が私たちの集まりに足を運んでもらえるように、AA、OAという居場所を守り続けていこうと思います。
みなさま、今年一年おつかれさまでした。来る年も、健やかで平安な一年でありますように!
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じつは今週の初めにOAミーティングが予定されていたのですが、中止となってしまいました。会場をお借りしている施設側から「できれば中止をしてもらえないか」という依頼があったからだそうです。私の住む広島市では、新型コロナの感染者の人口あたりの割合が首都圏のそれを追い越す勢いなので、まあ仕方がないといえば仕方がないです。
そんないきさつがありましたので、ホームグループのミーティングも中止になるかと案じていました。しかし、こちらは施設側からの連絡はとくになく、昨晩つつがなく開催できました。
開催、と言っても一人ミーティングでしたが。
これもこういう状況なので仕方がないですね。BOX-916(AAの情報誌)を読んで、会ったことのない全国のメンバーのことを思ったりしながら過ごしました。30分ちょっと過ぎたところで切り上げて片づけをしました。
同じフロアでは他の自助グループさんがまだ話し合いをしている様子が伺えて、ちょっとほっこりした気持ちになりながら、会場を後にしました。
帰り道にぽつぽつとある居酒屋さんも軒並み休業中でした。大きな四角いバッグを背負った宅配サービスの配達員さんの自転車と何度もすれ違いました。大きな通りに出ると、ハザードランプをつけた乗用車が続いて並んでいます。しばらく進んでも車の列は途切れず、一車線をふさぐような感じさえあります。いったい何事だと不思議がっていたら、その先にデリバリーピザのお店がありました。
この冬は、今月の半ばに初雪が降りました。昨シーズンが暖冬だったぶん、寒さがこたえます。一年が過ぎるのはあっという間で、自分はまだ何にもしていないのに終わろうとしている感じがします。私のように夫婦二人でぼちぼちと暮らしていると、とくに「歳を取るほど時間が経つのが早い」のを痛感します。
この新型コロナ騒動も、これまで自分自身を悩ませる内向的な性格が今回は不幸中の幸いだったのか、人との交流を制限されてもさほど苦痛ではありませんでした。
お酒を飲まなくなってずいぶん経つし、大人数の会食は無駄に神経を使ってしまうので、少人数か、むしろ一人で食事をしたほうが気楽だし、仕事ももとから自転車通勤だし、行きつけのお店も近所の常連さんしか行かないようなお店ばかりだし、私自身はむしろホッとしたというか、「ああ、いままで生きてきた中で、はじめて世間が私の性格に寄ってきた気がする」とさえ感じました。
だからやっぱり今のこの状況はアカンですね......。
一時期はパートの日数もガクンと減ってしまい焦りましたが、結局自分ができることを繰り返すしかないのだと受け流しているうちに一年が経ったという感じです。ありがたいことです。
カレンダー、暦なんて人の都合で決めたものじゃないか、と思っていたのですが、まもなく来る新年でリセットされて、人と人がもっと自由に気楽にふれあえる、つながりあえる日常に戻れることを願ってます。そう、私が本音では「ちょっと面倒くさいなあ」と思うくらいの人づき合いができる世の中のほうが、ちょうどいいんだと思います。
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