草の花 (福永武彦)

  • 2012.04.09 Monday
  • 19:02
私はけっして読書家ではないのですが、ときおり読み返す本がいくつかあります。

草の花 福永武彦 新潮文庫

この小説をはじめて手に取ったのは高校生の時でした。
当時、某社の高校生向けの通信教育を受けていたのですが、国語のテキストには、毎月いろんな方がおすすめの小説をとりあげてコラムを執筆していて、そこに紹介されていたのが『草の花』でした。
「若い時に読んだからこそ心に残る作品というものがある。これもその一つだ。もしまだなら、ぜひ今のうちに読んでほしい」というような事が書かれてありました。

その少し前にも、現代文の先生が(別の作家の本でしたが)「これは学生のころに読んでおけ。大人になって読んだら『だからどうした』としか思わないから」と、まったく同じような言い方をしていたこともあって、ならばそういうタイプの小説は今のうちに読んでおこうかと思ったわけです。

この筆者の意見は大正解でした。私もあの年頃のときに読んだから、今でも好きな作品として心に残っているのだと思います。もし社会に出てしばらくして読んだのなら、主人公の青臭さや頭でっかちなところが鼻について「そりゃあ、そういう人生の選択になるよなー」としか感じなかったでしょう。

お話は戦前から戦後にかけての日本。
主人公の汐見が自身の半生をつづったノートの内容が物語のメインで、登場する「私」は語り部の役回りです。舞台となるサナトリウムとか旧制高校など、はるか昔のように感じますが、まだそんなに前のことでもないんですよね。

70年近く前のこと、結核は私たちが思う以上に深刻な病気だったのでしょう。サナトリウムの中で、死と隣り合わせの患者は不安や恐怖、他人への嫉妬や羨望を抱えています。いっぽうで主人公の汐見はどこか悟ったような諦めたような様子で療養生活を送っていて、そんな汐見に「私」は関心を持っていきます。
手術の前、汐見は「私」に2冊のノートを読んでくれるよう言い残します。そのノートを「私」が読み進めていく形で本編は進んでいきます。

ノートは汐見の高校時代の出来事から始まります。
旧制高校ですからとうぜん男子校でして、たぐいまれな美少年の下級生が登場してきて、ギリシャ哲学の話が出てきて…という展開で、男性の方は読んでいて抵抗があるかもしれませんが、純文学ですのでそこはあくまで上品に描かれています。後半はちゃんと女性が登場します。

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今と違って、裕福な家庭か、もしくはとんでもなく頭が良くないと高校や大学に行けなかった時代とはいえ、昔の学生さんたちは、まあいっぱい本を読んでいたもんだ、真面目だったんだなあ!と感心します。
とくに汐見とクリスチャンのガールフレンドが信仰について議論を交わすくだりがあるのですが、そこまでこねくり回して考えていたら、そりゃあ疲れるでしょう。信じる、信じないなんて頭で決めるものじゃないもの。

今回読んでいて、あっ!と思ったところ。
ガールフレンドとの議論に疲れた汐見が、アパートの窓から下界を見下ろす場面があります。
窓の外には「鉄道線路が幾筋も横に走って」いて、「その向うは、街並みが汚らしい屋根屋根を並べ、工場の煙突が煙を吐き出し、海が鼠色に霞んで見え」ます。そして汐見は「僕の心も、その風景のように汚れていた」と嘆きます。

あなたの心がどうなのかはわからない。でも、あなたにはただ汚れているとしか見えない風景のなかで、その汚らしい屋根の下や工場の中で、たくさんの人が一所懸命働いて、生きているんだけどな。

主人公は「これを捨てたら自分の生きる意味がなくなってしまう」という考え方を捨て去ることができなくて、それが悲劇を招いてしまうのですが、今回この街並みの描写を読んで、真・善・美をひたすら追い求めるあまり、人間の持つ泥臭い部分を受け入れられなかったのかなあ…とも思いました。
「僕は一人きりで死ぬだろう」と独白するいっぽうで、こつこつと自らの半生を書きとめ、もうひとりの人間に託していった主人公の気持ちを想像すると、なんともせつなくなります。

こんな考え方だからうまくいかないのは分かってる⇒でも変えられない⇒自分の人生に不具合を起こしてしまった、てなことは私にもありました(私の場合はとくにメンタルにきました)。彼ほど崇高な思いはありませんでしたが、気持ちは分からないでもありません。

文体はとても読みやすく、日本語っていいなあとあらためて感じさせてくれます。高校時代に友人に文庫本を貸したときに「翻訳小説を読んでいるような文章」と感想を言われましたが、たしかにこんなふうに訳せたらどんなにいいだろうと思います。できないけど。

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タイトルの『草の花』は新約聖書の一節からとられています。キリスト教の知識があれば、物語をより深く味わえるのでしょうね。
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