子どもの頃の私へプレゼント

子どもたちはサンタさんからのプレゼントを心待ちにしている頃かと思います。

スーパーでもコンビニでも、クリスマスケーキや、かわいらしいカゴや缶に入ったお菓子の詰め合わせが売られています。

私は、あるお菓子を見かけると、自分の子どもの時の出来事を思い出してちょっとせつなくなります。

それはサンタさんのブーツに入ったお菓子の詰め合わせです。
真っ赤なブーツの形をした入れ物から飛び出すように詰められたキャンディやチョコレート。幼い私には、それはそれは素敵に見えました。

私はブーツを指さして、母を見上げてねだりました。

しかし母は「あんなの、入れ物ばっかりよ。高くてもったいない。お菓子が欲しいなら別々に買ったほうがいいでしょう」とバッサリ。

私は言われた瞬間、喉がグッと詰まったような感じになり、何も言い返せませんでした。

以後、次の年のクリスマスが来ても、サンタさんのブーツを見ても、もう口に出すことはしませんでした。

その話を夫にすると「いや、そりゃそうだけどねえ。お母さんも身もフタもない言い方をするなあ」と苦笑い。そのあと、ふと思いついたように「自分で買いに行けばいいじゃない!」と言い出しました。「自分がサンタさんになるんよ。子どものときの自分に、今からプレゼントすればええんよ」

あ、そうか。それはいいアイデア。

ということで、サンタさんのブーツ、買ってきました!










母が言ったとおり、中身のお菓子は少ない。たしかに割高でした。

母は戦中戦後のドサクサを経験してきた世代です。大人も子どもも、どうやって食いつないでいくかを最優先に生きなければならなかった時代でした。せめて我が子にはひもじい思いをさせたくないと、ふだんの食事はしっかり食べさせてくれました。

ただし、お菓子はぜいたくなもの、という感覚がとても強かったのでしょう。とくにオマケ付きのお菓子を買うことには、あまり良い顔をしませんでした。

母が子どもだった時にはアメリカと戦争をしていたわけで、それこそクリスマスどころではありません。私がほんとうに素朴な疑問で「サンタさんって、だあれ?」と母に尋ねたら、「あれは、お家のお父さんやお母さんがなるんよ」という答えが返ってきました。私が3歳のときです。手品がどういうものか分からないうちから、タネや仕掛けの存在をばらされたようなものです。

そんな母ですから、「クリスマスケーキを買うのだから、それでもうじゅうぶん」と考えていたのでしょう。

大人となった今では、母の言いぐさも分からないわけではありません。私だって現在に至るまで毎年毎年サンタさんのブーツを念じながら年末を過ごしたわけでもありません。

でも、小さい子どもに対して、もっと言い方がなかったものかな。「クリスマスケーキは買ってあげたから、お菓子はガマンね」「来年、サンタさんにお願いしようね」とか。

お菓子入りのブーツを買った帰り道、夫の「子どもの時の自分にプレゼントしたらええんよ」という言葉を思い出したとたん、涙が出てきました。家に帰って、夫の前で泣きました。自分でもびっくりしました。もうとっくに気持ちの整理がついて、笑い話だと思っていたのに。

お菓子を買ってもらえなかった恨みではないです。母親から一言断られただけでひるんでしまって、次の年にクリスマスが来てもたとえまた断られてもいいから、自分の「やっぱりほしい」という気持ちを親に伝えられなかったこと。あまりに幼すぎて「そんな言い方をしなくてもいいじゃない」と言い返せるコミュニケーション能力がなかったこと。

夫からは「よっぽど悔しかったんだねえ。これまた、あなたがヘンに記憶力がいいから、お母さんがポロッと言ったことを覚えてるからねえ」となぐさめられました。

ひとしきり泣いた後、夫と意見が一致したのは「サンタさんの物語は、子どもが自然に気づくまで、大事に話してあげないとね」「自分が言われて嫌だったことは、僕らの代で止めないといけないね」でした。サンタさんに限らず、子どもや若い子たちが夢を自分から話したのであれば、それを脳天からハンマーでぶっ潰すようなことをしちゃいけないなと思います。

今回買って帰ったお菓子は夫とふたりで、そして、小さい頃の自分を心の中に思い浮かべながら頂きます。
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