ヒアリングができない!

2年前にアメリカに行った際に、私が目標としていたのが「コンビニでもミーティングでも、思いきって自分から話しかけてみよう」ということでした。

コンベンションの会場では、受付後に渡されるネームカードが参加証のかわりになります(最近、会社員の皆さんも身分証明証をホルダーに入れて首からぶら下げていますが、あれと同じ要領です)。
そこにはファーストネームとともに、どこの国からの参加なのかが明記されているのですが、"JAPAN"という表示を目ざとく見つけた方々から、よく話しかけられました。

ここで痛感したのは、私のヒアリング力の無さでした。

声をかけられるタイミングは、たいてい私が一人でロビーにいるときでした。
一人でいる⇒英語が分かるだろう、と判断してのことでしょう。いや、私もまったく分からないわけではないのです。しかしながら、会話がスムーズに続きません。
私が相手の目と口元をじーっと見ながら必死に聞きとって、冷や汗をかきかき答えていると、一服して戻ってきた夫が話をつなぐ…というのがいつものパターンでした。

会話そのものは、中学高校で勉強していればほとんどは理解できるはずの内容なのですが、とにかく聞きとれないのです!これまで(英語ネイティブの)在日外国人の人と話したことは何度もあったのだから…というわずかな自信はまたたく間に崩れ去ってしまいました。
これまで、まがりなりにも話が続いたのは、相手が非英語圏の人たちのために、限られたボキャブラリーで、しかも明瞭な発音で話してくれていたおかげだったことが、やっと分かりました。

「相手が言ったことを100パーセント聞き取ろうとするから無理があるよ。英語って大事な単語を強調して言うでしょ? そこを拾っていけばいいと思うよ。こっちがゆっくり言えば、向こうも合わせてくれるし」というのが夫のアドバイスでした。
ホテルでもテレビをつけて、起きている間じゅうとにかく英語を聴くようにしたのですが「なんだかちょっと聞きとれるようになってきたかも…」と思えてきた頃には、コンベンションも終了。

すべての行事が終わって、私たちは会場近くのみやげ物屋さんに立ち寄りました。

せっかくたくさんのメンバーが話しかけてくれたのに。もっと会話ができたら、相手の地域のミーティングの様子とか、いろいろ聞いてみたかったのに…と残念に思いながら店内を物色していると、少し離れたところにいた夫が、はずんだ声で私を呼びました。
振り向くと、夫の隣に年配のアメリカ人男性が立っています。私たちと同じようにネームカードを首から下げたままにしていました。

「日本のどこから来たの?」という会話から始まって、「広島? ああ、私はむかし、岩国にいたんですよ!」という会話の流れになったそうです。
相手の方は退役軍人さんで、戦後間もなく岩国の米軍基地に勤務されていたとか。進駐軍、と言われていた頃ですね。

その頃の日本はどうでしたか?とたずねると、「poorだったねえ…」としんみりとした口調で言われました。基地からのおみやげにと近所の人に牛肉を持っていくと、大喜びされたそうです。

そんな戦後から60年以上経ったわけですが、その方に「ところで、お酒を止めて何年ですか?」とたずねると、なんと1959年から(!)という答えが返ってきました。
長い人生のこと、お酒を飲んでいた若いころの体験よりも辛いできごとが、きっとあったはずなのに…。

そういう方が"one day at a time"とおっしゃると、すごく重みがあります。

奥様とご一緒でしたが、とても幸せそうでした。
50年先かあ〜…と、はるか先のことは考えずに、目の前の一日一日を積み重ねていきたいとあらためて思いました。

それはそれとして、やっぱり英語をもっと勉強しなければ…。

”旅館”での分かち合い(その2)

私たちと同じInnに泊っていたJさんは、イリノイ州からテキサスまで、はるばる車を走らせてやってきたメンバーです。

駐車場の脇にアウトドア用のテーブルセットが据えてあったのですが、Jさんは朝晩いつもそちらの椅子に座ってゆったりと煙草をふかしていました。食堂や部屋の中でも喫煙OKだったのですが、たぶん周りの方に配慮されていたのだと思います。
夫も(いまや肩身の狭い)喫煙者でございますので、自然にJさんとテーブルを囲んで話をするようになりました。私も「ちょっとけむたいかも」と思いつつも隣で二人のやりとりを聞いていました。

私は、かっぷくの良い欧米人男性を見るとみんなサンタさんかサンダースおじさんに見えてしまうのですが、Jさんもまさしくそんな感じでした(ヒゲはなかったけど)。お酒を止めて20年以上経つというJさんは、体格だけではなくて、立ち居振る舞いもどっしりとしていました。

ずーっと長い間お酒を止めてミーティングに出続けている人というのは、どこか共通の雰囲気があります。親しいメンバーが「気配を消すのが上手い」という表現をしていましたが、ほんとうにそんな感じです。

ガツガツ前へ出て人の領域に入り込むこともなく、上から目線でものを言うわけでもありません。この人、ちょっと困っているんじゃないかな、辛そうだな…と感じたとしても、相手から聞き出そうとするのではなくて、近くにそっと座って、じっくり話しかけられるのを待つような忍耐強さがあります。そして、他の人のことはちゃんと見ています。
Jさんも、私が手にしている紙コップにいつもティーバックが浸してあるのを見て「いつも紅茶だけど、コーヒーは飲まないの?日本じゃどんなものを飲んでるの?」と話しかけて、さりげなく会話の輪の中に入れてくれました。

コンベンションが終わった翌朝には、ほとんどの宿泊客がチェックアウトをしたのですが、私たちは移動の都合でもう一日ほど泊まることにしていました。夕方、人気がなくなって静かになった宿に帰ると、Jさんもまだ滞在していたようで、いつものテーブルでプカプカと一服していました。近づいて行ってお別れのあいさつをすると、笑顔で私たちにハグをしてくれました。

たった数日間のことだったけれど、海外ニュースやアメフトの中継でイリノイ州が紹介されると、Jさんのことを思い出します。かなり寒そうなところです。きっとふだんのミーティングでも、Jさんは部屋の少し後ろのほうに座って、仲間の話を悠然と聞いていることでしょう。

「あの人、しゃべりだしたら止まらないのよねー」と自分の居ないところで言われないように、相手のタイミングに合わせてじっくり話を聞けるような人間になりたいです。

”旅館”での分かち合い

(もう少し、2年前のサンアントニオでのお話を続けます)

サンアントニオでのコンベンションには、日本のオフィスからもツアーが組まれていたのですが、私たちは航空会社のマイレージを利用してアメリカに行くと決めていたので、宿の手配もすべて自分たちで行わなくてはなりませんでした。

マイレージ利用=特典航空券という性質上、搭乗できる便も限られますし、予約出来る時期が正規の方法でチケットを買う場合よりも遅くなってしまいます。
ホテルの手配は当然ながら空路が手配できてからのことになりますので、ネットで宿泊の予約を試みたときには、メイン会場近くの手ごろな宿泊施設は軒並み満室となってしまっていました。

そこで、凝り性である夫の出番であります。 調べ物ひとつにしろ、本人が納得しなければ気が済まない性分なのですが、こういう時には好都合。ほいほいとお任せしました。
いくつかの旅行会社のサイトを調べ、googleマップで会場と候補になっているホテルの距離を調べ、ようやく見つけたのが1泊60ドル程度の"Inn"でした。ネットで画像を確認したところ、ホテルと言うよりも、駐車場の広い旅館のような外観です。でも泊まるには十分の設備でした。

結果としてこの選択は大正解でした。というのも、他の宿泊客も、すべてコンベンションに参加するためにやってきたメンバーだったからです。
アメリカ中西部、カナダ、メキシコ、中南米、ハワイ、そして日本。旅館の食堂が狭かったのも幸いして、期間中は毎朝同じテーブルになった者どうし、食事をしながらあれこれと話をすることができました。
北米在住のメンバーは、みな何時間もかけて車でテキサスまでやって来ていました。カナダのあるメンバーなんて「いやー、僕はカナダでも真ん中のほうだし、まっすぐ南へ下ればいいだけだから」とサラッと言ってのけていたのでびっくり。距離の感覚が私たちとまるで違います。

別のカナダ人のメンバーは、自分の所属する地区の広報係を務めているらしく、「こんどのニュースレターにみんなのことを載せたいんだけど、いかがでしょう。もちろん顔は見えないように撮りますから」と提案してきました。その時居合わせていたメンバー一同、よろこんで協力することにしました。
それぞれ持参してきた本や、手元にあった新聞を顔の前に広げて写真を撮ってもらうという変わった方法ですが、メンバーであることと自分の顔は同時には明かさない、というのが私たちの大事な決まりごとです。

出来上がったニュースレターは、後日とても丁寧なメールとともに送られてきました。せいぜい1枚ものの広報を想像していたのですが、これが20ページ以上もある力作。イラストもふんだんに使われていて、眺めるだけでも楽しい仕上がりになっていました。
コンベンションの様子は1ページに要領よくまとめられていて、みんなで撮った記念写真もばっちり添えられていました。

メールの文章は私のようなカタコト英語しか読み書きできない人間にはかなり手ごわいものでしたが、表現の上手な方だということが感じられました。
昨年の震災のときにもお見舞いのメールをくださって、とてもうれしかったです。

ご家族と一緒にメキシコから来ていたメンバーは、サッカーのメキシコ代表のレプリカユニフォームを着ていて(ちょうどW杯開催中でした)、個人的にすっごく話しかけたかったのですが、あいにくスペイン語がさっぱり分からず。
少しぐらい覚えてくれば良かった…と思っていたところ、コモエスタだのブエノスディアスだのルチャリブレだのとカタコトで話しかける夫(たぶん、コンニチワ、スシ、ニンジャのレベル)。隣にいてヒヤヒヤしつつも、やはり語学上達の道に必要なのは度胸と愛嬌だとあらためて感じたのでした。

Rさんとの出会い

知り合いのアメリカ人から聞いたのですが、いちど登録を済ませると、日本に住んでいても州知事や議員の選挙のための投票用紙が郵送されてくるのだそうです。この秋に行われる大統領選挙も投票権があるのだとか。アメリカ人は世界中に散らばっているとはいえ(軍隊の人たちとか)、徹底してるなあと思いました。

さて、今日のお話は、私たち夫婦がアメリカのAAイベントに出かけた、2010年の夏にさかのぼります。

Rさんと出会ったのは、サンアントニオのコンベンション会場でした。

コンベンションでは、いくつもの部屋に分かれてワークショップが開かれていました。日本から参加したメンバーも日本語ミーティングを担当していました。

プログラムの終盤、日本人メンバーの質問に流暢な日本語で答えてくれたアメリカ人の男性がいました。外見からして、日系の方のようでした。

ワークショップ終了後、私や夫は顔見知りのメンバーと雑談していたのですが、ふと振り向くと、さきほど質問に答えてくれたメンバーがおだやかな表情で立っていました。すかさず夫が話しかけてあいさつを交わし、そばにいた日本人メンバーにも声をかけて、なごやかな談笑が始まりました。人見知りの私は、夫の手際の良さにいつもながら「へー」と感心してしまいます。

その方、Rさんはロサンゼルスからこのコンベンションに参加されていました。

ちょうどランチタイムだったので、皆で昼食を頂こうという話になったのですが、なにしろ5万人以上(!)もの皆さんがほぼ一斉に会場周辺に繰り出しているわけですから、どこのレストランも満員です。結局、それぞれ少人数に分かれて食事をしようということになりました。

そして、偶然というか何というか、いつのまにか私と夫は、さきほど出会ったばかりのRさんと一緒にお店を探すことになったのです。Rさんは前日にあちこち散策したらしく、近くのビルの中にフードコートがあるのをご存知でした。私たちはそこで昼食をとることにしました。

Rさんは私たちを気づかってくれて、日本語でコミュニケーションをとってくれました。お見受けしたところ、年齢は私より上、夫より少し下といった感じでしょうか。物腰がとても落ち着いていて、かといって老けこんでいるわけではなくて、むしろ若々しさがあります。AAメンバーって、年齢不詳な人が時々居るけれど、アメリカでも同じなのかなあと思いながら、夫とRさんのやりとりを聞いていました。

話題は、私たちの今後の予定へと移りました。

帰りの飛行機はロサンゼルス発の便を予約していたこともあり、せっかくの機会なのでロスに3、4日滞在する予定でした。Rさんは「ホテルはもう決まっていますか?ロスのどのあたりですか?」と聞いてこられました。ロサンゼルスと言っても広いです。いくらRさんが住んでいるといっても、現地で会うのは無理だろうなあと思っていたら、住所と日程を確認したRさん、

「大丈夫ですね。では一緒にミーティングに行きましょう」

と、たんたんとした口調で誘ってくださいました。

い、行きましょうって・・・と一瞬キョトンとした私に、「大丈夫、ぼくが車で迎えに行きますね」と穏やかな笑顔で念押し、もとい、確約されました。

夫は「いやー、うれしいなあ。神様に感謝ですねえ!」とニコニコしています。ああそうか、こういうときは流れに任せたほうがいいのね。

後日、Rさんには、地元のミーティング会場を2か所ほど案内していただきました。ミーティングの後にはRさんのスポンシーも一緒に食事の時間を取ってくれたりなど、コンベンションで会っただけなのに、こんなにしてもらっていいのかなと思うくらいでした。私たちは旅行中の身分だったけど、Rさんは昼間仕事をしながら段取りをしてくれたわけですから。

Rさんの落ち着いた立ち居振る舞いを拝見して、「きっとAAにつながって長いんだろうねえ」と夫婦で話していたのですが、お伺いしたところ、20年以上のソーバーでした。ああやっぱり。

私もいつかは、あれぐらい悠々と構えていられるのかなあ?

今みたいに、スーパーのレジの行列でオバちゃんに割り込まれたぐらいで「むむっ」と思っているぐらいでは、道のりは遠い気がします。

ミーティングへ行ってきた(ラスベガス編・5)

(おことわり)
2年前にアメリカのミーティングに行ってきたときの話、未完のまま放置しておりました。これからまた少しずつアップします。やるやる詐欺にならないように気をつけます…汗

前回の話は⇒こちらから。

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たどりついた会場は、ラスベガスの繁華街からだいぶ離れたところにありました。日本で言うところの公民館のような感じでしょうか?
貼り紙に書かれていた部屋番号を頼りに探していたら、明かりのついた部屋を発見しました。そーっと入って"OA Meeting??"とたずねると、中で待っていたメンバーがにっこり笑って答えてくれました。

前回のミーティングで私に連絡先を教えてくれたIさんは、少し後になって来てくれました。私にすぐに気づいて話しかけてくれ、その後で顔見知りのメンバーと話をしていました。
ご本人に直接確かめたわけではないのですが、ホームグループではない会場にわざわざ足を運んでくれたようでした。

「ここで会った人のこと、ここで見た人のことは外へ持ち出さない」のが私たちの約束事なので、ミーティングでのことは明記しません。
ただ、私自身のことはOKだと思うので書きますが、分かち合いのときに感極まって泣いてしまいました。話し始めたらみるみる涙があふれてきてきたのです。自分でもなぜか分からず、びっくりしてしまいました。

前回、OAのミーティングに出られたはずなのに、部屋を間違えて叶わなかったこと、やっとOAのミーティングにたどり着けたこと、アメリカでの食事はとても美味しかったけれど、いっぽうで内容も量も違い過ぎて、自分でも気づかないうちに戸惑っていたのかもしれないこと、英語が予想以上に聞きとれなかったこと…理由はそれなりにあるのですが、でも、どれも決定的なものではありませんでした。

英語で「ここに来ることができてすごく幸せです」と言うのがせいぜいで、あとは何をしゃべったのか記憶にありません。
ただ、私が話している(泣いている)間じゅう、隣に座ってくれたIさんが私の背中をさすってくれていて、その温かさは今でもはっきりと覚えています。
(食べ物や食べ方に問題の無い)夫は、そんな私の様子を見ていて、やっぱり同じ問題を抱えた人どうし、何かピンとくるもの、通じ合うものがあるんだろうなあ、とあらためて感じたそうです。

帰りはIさんが車でホテルまで送ってくれました。
車の中でつたない英語で話をしました。Iさんは学校の先生をされているそうで、私たちがヒロシマから来たことを伝えると、「核実験場(注:ネバダ州には合衆国管轄の実験場がある)のことも授業で扱うんだけど、いろいろ難しいのよね」と言っていました。そうか、本国のことでもいろいろ事情があるのか…。

それから、これまた偶然なのですが、私たちが宿泊していたホテルにはIさんのご家族が勤務されていて、翌日職場(ラスベガスならではのところでした)を訪ねてお会いすることができました。

このあとロサンゼルスに行って、そこでもOAミーティングに1回ほど参加したのですが、サンアントニオの時も含め、どの会場も年配のメンバーがおられたのが印象的でした。やはりアメリカではOAも半世紀以上の歴史があるからでしょうか。年齢がすべてとは思わないけれど、なんだか落ち着いた雰囲気がありました。

ずっとOAに関わっていきたいとは思っていましたが、おばあちゃんになってもミーティングに行こう、という目標ができました。若いお嬢さんがミーティングにやって来たときに、自分の親ぐらい、あるいはもっと年上のメンバーがいるのといないのとでは、やはり受ける印象が違うと思うのです。
あ、でも説教がましくなって、嫌われないようにしなくちゃいけませんね。

海外でも、国内でも、OAメンバーであるというだけで受け入れてくれる居場所がある。手前味噌になってしまうのですが、数ある自助グループの中で、やはり12ステップグループにつながって良かったと思っています。

ミーティングへ行ってきた(ラスベガス編・4)

「金曜日の夕方にもミーティングがあるの、ここから少し東になるんだけど」とチェアパーソンのIさんから連絡先のメールアドレスを渡され、少々遠くても行かなければ…と思った私。ホテルに戻ってネットで検索したら、タクシーを使ってもさほど高額にならない距離にあると分かりました。今回はグーグルマップが大活躍なのですが、それにしてもアメリカは車が無いとどうにもならない所だと実感しました。

ダンナと打ち合わせをして、大通りで路線バスに乗って、会場へ至る通りに一番近い停留所で降り、そこからタクシーをつかまえようということになりました。

さて当日。お目当てのバス停で降りましたが、タクシーをつかまえると思いきや、ダンナは最寄のホテルへとスタスタと向かっていきます。「まあ、ちょっと見て行こうや」

時間に間に合うのか?!とあせる私を横目に、カジノフロアをぐるっと一回りして、さっきとは別の玄関口に出ました。見ると、タクシーがずらっと並んでいます。

ダンナは、さもここのホテルの客のような顔をして、近づいてきたボーイにミーティング会場の住所が書かれたメモを見せ、「僕たち、ここに行きたいんだけど」と言いました。

わ、その手があったか!!

ボーイさんは先頭のタクシーの運転手にメモを片手に話していますが、行き先が分からない様子。2台目、3台目と運転席に顔をつっこんで話していますが、どうもすんなりと行かないようです。

「会場は住宅地にあるみたいだったから、大通りで僕たちが直接交渉するより、こういうところに来た方がいいと思ったんよ。日本の運転手みたいに、みんなが道に詳しいわけじゃないからね。バイトの人もおるし」

ちなみにここのホテルのボーイさん、アジア系の人だと思うのですがとっても親切に対応してくれて、ついにGPS付きのタクシーを見つけて先頭まで誘導してくれました。ごめんねお客さんじゃなかったのに。

たどり着いたところは、日本で言うところの公民館のようなところでした。しかし、電気がついているふうでもなく、人の気配がなく、車も止まっていません。運転手さんが心配してくれたのか、私たちのほうに振り向いてなにやら話しかけてきました。

「誰も居なかったらいけないから、確認してきてって」とダンナに通訳され、私は車を降りて玄関まで行ってみました。すると、ドアのところにボールペンで「OA RoomXXX」と書かれたメモ用紙がペタッと貼られていました。やった!ここだ!!

振り向いて両手を大きく上にあげてマルのサインをしたら、運転手さんが「OK、OK」みたいな顔をしました。
支払いをすませて、玄関の扉を開けて中へ入りました。ああもう、やっとですよ、やっと!!
(次で終わります、たぶん)

ミーティングへ行ってきた(ラスベガス編・3)

部屋に残っていたOAメンバーに、部屋を間違えたことをお詫びすると、チェアパーソンの方(Iさん)が「いつまでラスベガスにいるの?この金曜日の夕方にもミーティングがあるわよ」と誘ってくれて、連絡先のメールアドレスを教えてくれました。

そこのクラブハウスではAAやNAなどの12ステップグループのミーティングが毎日のように行われているのですが、OAミーティングは週に1度、このお昼の時間帯だけということでした。

こ、これは他の用事をキャンセルしてでも行かなくては…。

アメリカでは日系、アジア系の方はたくさん生活しているので、こちらがだまっているとなかなか分かってもらえません。しかし、日本から来た(&サンアントニオのAAコンベンションの帰り)と伝えると、やはりすごくびっくりされました。「日本では"Overeaters Anonymous"は何て呼んでいるの?」「あなたはどこに住んでるの?トーキョー?」などなど。自分で分かる範囲で答えて、日本には約30ぐらいのグループがある、たぶん100人ぐらいのメンバーはいると思う、12&12がやっと翻訳されて、これが日本語の第1号の本であることなどを伝えました。

あわてるやら謝るやらでドッと疲れて部屋から出ると、カウンターでダンナがコーラを買って飲んでいました。それにしてもクラブハウスって居心地よさそうですね。私も宝くじが当たったら作りたいなあ。

帰りは、AAミーティングで同席したメンバーの車で、近くのショッピングセンターまで送ってもらいました。駐車場までついていくと、そこにはハマーがどーんと待ち構えていました。「私この車好きなのよね」。いや、好きっていうのと所有できるっていうのは…(以下略)。

しかしさっきその場で会っただけなのに、みなさんほんと親切。私も世間の人には優しくできなくても、せめて12ステップグループの仲間には親切にしないといけんなーと思いました。

(まだまだ続く)

ミーティングへ行ってきた(ラスベガス編・2)

ベンチで話をしていたご婦人たちに、"Is here an OA meeting?"と訊いたところ、その中の一人が笑顔で"Yes! ○×△■□? welcome!!"と言ってくれました。うむむ、聞き取れないところがあったけど、たぶん「あなたもメンバーなの?」とか、そういうあたりだろうなと思っていたら、横からダンナが「ネットでこの会場を調べて、タクシーで来たんですよ」と助け舟を出してくれて、僕はAAメンバーで彼女はAAとOAにも通ってるんだとか、今回の旅行のことなどを話していました。そうしたら別のメンバーが「へー、日本から来たの!」と話の輪の中に入ってきて、以下、非常に賑やかな展開になりました。

ミーティングまでもう少し時間があるということで、クラブハウスの中に入って少し待つことにしました。

私はクラブハウスというのを実際に見るのは初めてでした。
玄関から入ったら正面にカウンターがあって、店番役の人(12ステップグループのメンバーとは限らないのでしょうが、たぶんそうでしょう)に言えば好きなソフトドリンクが買えるようになっていました。あとは何人かが集まってゆっくり話ができるように、テーブルとソファのセットが2、3ヵ所。テレビもあります。そして、つきあたりの少し奥まった部屋がミーティング会場になっていました。

後日、このクラブハウスのホームページを発見したので貼っておきます。こんな感じです。
http://serenityclublv.com/index.html

いろんなグループが会場を借りてミーティングをやっているんですね。ミーティングよりも早めに来て仲間と喋るのも良し、ただ時間つぶしに来ても良し。それでもって24時間営業とは!さすがラスベガスです。

「こっちよー」と、あるメンバーに案内されて、つきあたりの部屋に通されました。けっこう広い部屋ですが、三々五々と人が集まってきます。係の人がビッグブックのハードカバーを手渡してくれました。へえ、ここはビッグブックを使うんだ。

…それにしても、OAなのに男性メンバーが多いなあ…

そして、いざミーティングが始まって参加者の自己紹介の時間になったのですが、最後まで聞いていてもやっぱりcompulsive overeaterの人が一人もいないのです。ここ、やっぱりAAミーティングなんだ…。あれれ。

ダンナも「あれ?」という顔はしていましたが、頃合いを見はからってちゃっかりと体験の分かち合いをしていました。

「インターネットの情報が古かったのかなあ?でも、さっきの女の人は、私が『OAはここですか?』って聞いたらyesって言っていたのになあ…」と頭の中に"?"マークがクラゲのように漂ったまま、ミーティングは終了してしまいました。

そのAAミーティングが終わったあとに、ダンナが「しまった!」という顔をして私に言いました。
「そういえば、さっき誰かが"There are 2 meetings now."って僕に言ったんだ!今思い出した!僕たちをこの部屋に案内してくれたのは、僕がAAメンバーだって言うことだけしか聞いてなくって、『それじゃあこっちの部屋よ』って連れてきてくれたんだよ。」

えええ、じゃあ、このクラブハウスの中でもちゃんとOAミーティングがあったってこと???

「さっきミーティングの途中でトイレに行ったんだけど、この部屋のちょうど反対側のつきあたりの方へ人が入っていくのが見えたんよ。その時にピンと来なかったんけど、たぶんそこだ!!だとしたらまだ人がいると思うから、行ってみよう!」

急いで今までいたミーティング会場を出て、ラウンジへ戻りますが、はて、もう一つの部屋は…と思っていたら、少し狭い通路がありました。その通路を奥に進んでいくと、さっきよりはこじんまりとした部屋でしたが、10人そこそこの女性が片付けや雑談をしていました。その中に、私が最初に話しかけたご婦人もちゃんといました。そうです、OAミーティングはこっちの部屋だったんです。うわー、しまった!!

(まだまだ続く)

ミーティングへ行ってきた(ラスベガス編・1)

コンベンションで声をかけてくれた現地のメンバーの方と話をしていると、「このあと、どこかへ行くの?そのまま日本に帰るの?」とかならず聞かれました。

 はい、ラスベガスに行きます!

とニコッと笑って答えると、ものすごく驚かれてしまいました。
「えー、もちろんミーティングにも行きますよー」とつけ加えると、なんだかホッとした表情をして「そうそう、それが良いよ!!」と力説。

その時は、みんな大げさだなあと思いましたが、実際にラスベガスへ到着してみて、どうしてあんなリアクションをしたのか分かった気がしました。


↑ベネチアン&パラッツォ。気分は中世のイタリアでございます。


↑敷地内に水路&乗船できるゴンドラがあったりする。


↑噴水ショーで有名なベラッジオホテル。


↑イタリアだけじゃない。パリのエッフェル塔もあります。手前はミニカーではありません。

じつはAAのミーティングはこんな大通り沿いにもちゃんとあるのです。調べてみると3ヵ所ほど、いずれも会場はホテル(!)の中でした。さすがですね。

ただ、私の今回の目的はサンアントニオと同じく「せっかくだからOAミーティングを優先したい」だったので、サイトとグーグルマップを駆使して会場を探すことにしました。ダンナ付きで向かうためにオープンミーティングをピックアップします。候補に残ったミーティング場のリストを見ると、さすがにホテルの中...というわけにはいかず、ほとんどが郊外にあるようでした。一か所だけ、大通りからさほど遠くないところにある会場を見つけました。地図を見ると、ふだんなら十分に歩いていける距離のようです。やった!

しかし、ラスベガスは砂漠のど真ん中にむりやり作られた街。気温は35度以上もあり、炎天下のなか徒歩で向かう気分にはなれず、タクシーを拾うことにしました(このときは帰国後に猛暑が待ち構えていたことなんて予想だにしませんでした)。

住所表記はやはり「○○通り1111」といった大ざっぱさ。不安を抱きつつもメモを運転手さんに見せると、「ああ、これはチャイナタウンだ」と言って車を走らせました。

タクシーは横丁に入り、1階建ての、長屋のような建物に向かいました。その長屋の端の家の壁に、見慣れた三角形のマークがでかでかと描かれているのが目に飛び込んできました。

ダンナが「ああ、分かった。ここはクラブハウスなんだ」と言いました。
タクシーを降りると、玄関先で何人かが談笑しています。ざっと見回した限り、すべての人がOAメンバー…というわけではなさそうです。

何人かの女性がベンチに腰掛けて会話をしていましたので、ここで本当にOAミーティングがあるかどうか聞いてみることにしました。

(つづく)

ミーティングへ行って来た。(サンアントニオ編・2)

私たちが教会にたどり着いたのは、開始時間の10分ぐらい前でした。ミーティング会場となっている教会の一室に、男性がひとり待っていました。

おずおずと、"Is this meeting Overeaters Anonymous?"とたずねると、笑顔で"Yes!"という返事。実は日本から来たんです、と付け加えると、とても驚いて、でもさらに笑顔で"Welcome!!"と迎えてくれました。

うちの相方さんも家族としての立場で輪の中に参加させてもらいました。サンアントニオは毎日OAミーティングが開かれているそうです。街の人口は広島市とあまり変わらない(広島市には2会場)ので、あらためて本国での歴史と実績を感じました。

会場係のOさんも75周年コンベンションのことは知っていて、私たちがAAメンバーでもあることを伝えました。「せっかくだから観光も楽しんで行ってね!」という話をしていると、ぽつりぽつりと他のメンバーの方々が来られました。以下、「日本から来たんだって!」「はじめましてこんにちは」「まあ!ようこそ!!」という会話のくり返しでした。でもうれしかったなあ。

アメリカではミーティングに集まるメンバーの人数もさぞ多かろう、と予想していたのですが、意外とそうでもありませんでした。たまたま私が行った会場がそうだったのかもしれませんが、旅行中に行ったラスベガスやロサンゼルスでも、けっこうこじんまりとしていて、私が東京のミーティングに行ったときの人数とあまり変わらないくらいでした(もちろん、日本の地方でのOAミーティングに比べたらじゅうぶん「大人数」です)。

もう一つ意外だったのが、中年層〜年配のメンバーが多かったこと(私が行った他の会場でもそうでした)。日本の文化や食生活とアメリカのそれは違いますから、いちがいには比べられないかもしれません。ただ、アメリカでOAが誕生して今年で50周年を迎えるそうなので、そうした年月の積み重ねもあるのかもしれないと思いました。日本のAAより長いですね。

50年の歴史の賜物でしょうが、メンバーの体験談を精選した文献が何冊か出ていて、このミーティング場でもその中の一つを使っていました。

分かち合いのやり方ですが、司会者がメンバーを当てることはしていませんでした。
まず文献(体験談)を読んで、誰かが名乗るのを待ちます。その後にまた誰かが名乗れば分かち合いを続けます。流れが途切れたら、間合いを見計らってメンバーに文献の続きを読むようにお願いし、読み終わったらまた誰かが体験を話すのを待つ...といった感じでした。
誰かが口を開くのを待つ、流れに任せる...というのもいいなあ。広島に帰って、ミーティングで司会が当たったら試してみようと思いました。

何よりうらやましく思ったのが、仲間の体験談が本になっていて、ミーティングで使えるということです。
日本では昨秋にやっとOAの12&12が発売されたばかりですし、気の長い話ではありますが、いつか日本もこういう体験談集が出たらいいなと思いました。ミーティングに集まっていた仲間を見て、私もおばあちゃんになってもミーティングに通い続けて、つながってくる若い子たちを見守りたいなと思いました。かわいいおばあちゃんにならなくては。

帰りはOさんがマイカーで滞在先のホテルまで送ってくれました。
車中で「日本ではAAの本はどんなものが翻訳されているの?」という話になりました。
「人気があったり、重要な本はたいてい出ていますよ。」「じゃあ、"As Bill Sees It"は?」「もちろん、出てますよ」「あれは良い本だね。僕は大好きだよ」。
OAもオリジナルの文献が出版されるまではビッグブックを使っていたそうですから、AAメンバーでなくてもAAの本を読んでみるというのが習慣になっているのかもしれません。

ちょっと照れくさかったけど、お互いハグして別れました。

ロサンゼルスなどと違って、サンアントニオに再び行くことはなかなか無いかもしれません。今でもときどき仲間のことを思い出します。インターネットの情報を頼りに訪れましたが、行ってよかったです。これで分かち合いの話がもっと分かればいいんだけど...ダンナも参加できるオープンミーティングだったので、それも大いに助かりました!