父(92)が有料老人ホームに入居しました

  • 2023.10.22 Sunday
  • 16:33

ご無沙汰しております。

 

今年に入ってから実家の父の介護問題で慌ただしく過ごしていました。このたび無事施設入居の運びとなりました。

 

母ともども、ほっとしております。

私は県外に住んでいたのでたいした労力は払っていないのですが、認知症の主な症状が母に対する暴言、八つ当たり系のソレで、私も日々生活する中でふとどんよりとした気分になっておりました。

 

父が入居したと聞いて気が抜けてしまったのか、その後数日は眠くて眠くて仕事以外は家でゴロゴロ、なんのやる気も起こりませんでした。

 

私は県外に住んでいます。おいそれとは帰れないので、母親とは定期的に電話をしていました。数年前から父が年齢なりにボケてきているという話は聞いていましたが、ここ1年の間に急に体調も情緒も悪化しているようでした。

 

ある日、いつものように私から母に電話をしたときのこと。母の様子が明らかにおかしいのです。

 

まあまあ長いこと自助グループに関わっていると、短いやり取りでも相手の精神状態が想像できるようになります。

数日後、私は母に承諾を取らずに「本来は私が帰省して直接お伺いするべきですが……」と実家エリア担当の地域包括センターに電話で相談しました。それが今年の2月。で、事がすすんで10ヶ月足らずで父は老人ホームに入居とあいなりました。

 

母、どれだけ我慢してたんだよ。

 

介護サービスを受けるうえで、娘であるところの私がどこまでできるか/できないかを明確にする必要があったのですが、これが期せずして父親との関係を改めて見直すよい機会になりました。

 

遠距離介護については事前に本を読んで情報を集めていたのが助かりましたし、親子関係の精神的な部分についても自助グループで棚卸しを済ませていたのでさほど悩まずに済みました。

 

子どもの時は自分が一人っ子で寂しいと思うときもありましたが、こういう介護の話になると、頼れる兄弟姉妹はいないが逆に揉めようがもなく、自分の好きなようにできたので気楽でした……まあ、こう言えるのも、介護制度のおかげです。

 

このたびは介護関係の皆様にとても助けていただきました。引き続きお世話になります。

 

しかし、しかし。認知症の父を見ると、人の心とは?個性とは?長生きとは?と考えさせられます。どうせ朽ちて死んでいくのだから先々のことは考えず今を生きよう、とは頭ではわかっていても心がついていきません。

年末からの大掃除がやっと終わりました。

  • 2023.03.19 Sunday
  • 13:46

年末からの大掃除がやっと終わりました。

 

ふつうの掃除は12月に済ませたのですが、なんだかスッキリしません。その原因が「部屋の広さのわりに物が多過ぎる」ことだと気づき、不要品の処分を始めたところ止まらなくなってしまいました。お彼岸までに済んでよかったです。

 

処分したものはおおまかに次の通りです。自分が必要かどうか判断しやすい物、つまり執着が少ない物から処分しました。

 

1.大型ゴミ:とっくに用済みなのに処分するための手続きが面倒なので置きっぱなしにしていたもの

 

2.書類:いつか整理しないとと思いつつ放置していたらかなりの量に

 

3.頂き物:自分の好みではないが贈ってくれた人の念を感じてなんとなく捨てられないもの

 

4.思い入れのある物:就職した時に買ったスーツ、ミュージシャンのCDやコンサートパンフ、ぬいぐるみ、キャラクターグッズなど。

 

まずは1の大型ゴミ。やはり面倒くさかったです。都合のよい収集日を調べてネットで申し込み、手数料を収めて、当日の朝にゴミ出し。家電製品なら納得できるのですが、使わなくなった健康グッズや収納ケースにもこまごまとお金がかかりました。今度から長さ30センチ以上の物を買うときはよく考えます。

 

2の書類。期限切れの証書や古い日付の刊行物がぽろぽろ出てきました。ファイルに投げ入れたままではいけませんね。

 

3の頂き物。申し訳ないですが「ありがた迷惑」系のものです。これはこちらのブログ記事を参考にしました。気持ちの切り替えができたので割り切って捨てられました。

 

罪悪感を感じる必要なし、人からもらった贈り物を捨てる3つのコツ (『筆子ジャーナル』筆子さんのブログ記事)
https://minimalist-fudeko.com/getting-rid-of-gifts/

 

さて、私がいちばん大変だったのは4の「思い入れのある物」。他人から見ればガラクタでも自分にとっては大切なものです。

 

就職した時に買ったスーツ

思い出の品であるのはもとより、表地がウール100%で仕立てられているのがもったいなく感じて30年以上も捨てられませんでした。でも、お直しするにもデザインが古すぎるし、今の自分の体系にも合わないのでエイヤッと処分しました。

 

ぬいぐるみ・キャラクターグッズ

永らく部屋に飾っていないものを慈善団体に送りました。手数料はかかりましたが自分でゴミ袋に入れて捨てるのはかわいそうだったので。お別れが辛いので、ぬいぐるみはもう増やしません。もし貰ったら情がわかないうちに寄付します。

 

ミュージシャンのCDやコンサートパンフ 

部屋の中でいちばん場所を取っていて、思い入れがあるのがこれらでした。

私は服や化粧品には関心がないので捨てるほどもなかったのですが(むしろ極力少ない数でこなしたい)、音楽が好きなんですよねえ。今回仕分けするのにいちばん悩みました。結局、悩んだ割には棚の中身はたいして減らせませんでした。

 

CDもパンフレットも、青春時代に熱中したときに買ったものは残しました。

CDはいまの時代のものより音質が劣るのですが、捨てられませんでした。

パンフレットはいつの頃からかコレクション感覚で揃えていましたので、熱中する時期を過ぎても惰性で買っていたものは思い切って処分しました。

 

その代わり、と言っては失礼ですが、興味本位で買ったCDのうち現在サブスクで聴けるもの(そしてもし配信停止になっても後悔しないもの)は捨てました。ケースを分解して歌詞カードとプラスチックを分別してゴミ袋に入れて……と、一連の作業にけっこう時間を取られました。捨てながら紙やプラスチックがもったいないなあとも思ったり。これからはよくよく吟味して買います。その意味ではサブスクは気軽に聴けるからありがたいですね。音楽家にとっては困った時代なのかもしれませんが。

 

ずっと「自分の思い入れに踏ん切りがつけられるかどうか」と思案しながらの作業でした。何も考えずにどんどんゴミ捨てすればいいだけならここまで時間はかからなかったのでしょうが。

 

スキマ時間を使いながら作業しましたので身体は疲れませんでしたが、まあとにかく脳が疲れました。12ステップグループの棚卸し作業と同じくらいしんどかった気がします。

 

おかげさまで部屋もかなりスッキリしました。

 

チラシやダイレクトメールは受け取ったその日に処分するように心がけていますが、生活していくうちに自分の興味関心も変わり、またじわじわと物が増えていくかもしれません。心の棚卸しもそうですが、持ち物の棚卸しも定期的に必要だなあと気付かされた今シーズンの冬でした。

今年の目標:歩く

  • 2023.01.30 Monday
  • 22:20

帰省したときに、ふと思い立って母校の中学校まで散歩してみました。

30数年前の記憶をたどりながら歩いたのもあって時間がかかりましたが、それにしても中学生の時は毎日こんな距離を歩いていたのかと我ながら感心しました。
あとで地図アプリで調べてみたら片道1.7キロでした。私の頃は土曜日も学校がありましたから、ほぼ毎日、往復40分歩いていたことになります。中学校の前には坂道もあります。

今回は手ぶらで往復しましたが、教科書や資料集がぎっしりつまった手提げカバンを持って毎日4キロ歩けと言われたら、しんどいものがあります。

中学校のときだけではなく、私は子どもの頃からとにかく歩いていました。母親が自転車に乗れなかったからです。

私の古い記憶は3歳のころからですが、いつも母と手をつないで買い物へついて行ったこと、近所の神社へ遊びに行ったこと、国鉄(!)の駅のプラットホームで、電車に乗るときに母のかけ声に合わせて大きく足を踏み出して、下を見たら深ーいすき間があいていて怖かったことなどを思い出します。

大人になって母が「あんたがちょっと歩けるぐらいになってからすぐに、ずいぶんあちこち連れまわしたよねえ」と言ってくれましたが、私はそういうものだ、それが普通だと思っていました。

 

私がいま50歳を過ぎてもとくに膝や腰に大きなトラブルがないのも、幼少時、中学生の成長期にひたすら歩いたおかげかもしれません。

このたび実家と母校を歩いて往復したことで発見がありました。 私が高校生になって太りはじめたのは、毎日4キロ歩くという習慣がなくなったのが原因でした。
はい、今ごろ気がつきました。

高校はバス通学でした。実家からバス停まではせいぜい数百メートル。高校の目の前にバス停がありました。徒歩での通学距離が、毎日4キロから1キロ程度に減ってしまったのです。

しかも中学校の時には校則で禁止されていた帰り道での買い食いができるようになったので、友達としょっちゅうお店に寄っては間食とおしゃべりを楽しんでいました。そして家に帰って2時間とたたずに夕食です。今までよりも食べる量が増えて、今までよりも身体を動かさなくなったら、当たり前ですが体重は増えます。増えなかったら病気です。

身体が重くなった気がして体重計に乗ってびっくりしたのは高1の夏休みでした。入学から約3か月、蓄積されたカロリーが体型の変化としてあらわれてくる頃です。

それから私の過激なダイエットと長い長い過食嘔吐の日々が始まりました・・・。

まあ、私の過食嘔吐については自身の性格や承認欲求の程度の問題が大きいのでいずれかかる病気だったろうと推測しますが、それでもあの高1の夏休みの時、冷静に「そりゃあ運動量が減ればそうなるよ」と受け止められていたら、もうちょっと健康的な方法で対処ができたのではないか?と今更ながら思いをめぐらせています。

そんなわけで、歩くことの大切さを再認識しましたので、1フロアぶんの階段でもいいので、意識して歩く距離を増やそうと思います。

今年も一年ありがとうございました

  • 2022.12.31 Saturday
  • 07:49
先日、他のAAグループのミーティングに行きました。

コロナ禍になりホームグループ以外のミーティングに行く習慣をなくしてしまい、今回お邪魔したグループは何年もご無沙汰していた会場でした。見慣れないメンバーの中で非常に緊張しましたが、行ってよかったです。声をかけてくれた仲間に感謝です。

12ステップグループの「今日一日」に慣れてずいぶん経つので一年の区切りというのはあまり考えなくなりました。来年の抱負というのもないです(なにせ今日一日なので)。

ではありますが、この一年を振りかえれば、コロナの状況も過去2年に比べて落ち着いた割には自分が参加したミーティングの数が圧倒的に足りませんでした。野球観戦には真夏に3日連続でホイホイ出かけたりしていたので、弁解の余地がないです。来年以降はつとめてミーティングへ足を運ばねば。

プライベートでは、義母の介護のこと、父親のボケっぷりが着々と進行していること、自身の更年期障害(こちらは投薬治療でぐっと改善しました)などなど、年相応の問題も抱えています。それでも昔の私のように「度の過ぎた不安」を感じないでいられるのは、やはり12ステッププログラムのおかげだと思います。これからもこの回復のプログラムを信じて守っていきます。

今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

「コンチキショウパワー」はおすすめしないという話

  • 2022.10.09 Sunday
  • 22:21
進学、就職など、10代は将来に大きな影響を及ぼす人生のイベントがあります。私が進路を決めるときに失敗だったのは、恨みと怒りを最優先にしたことです。

私が勉強のモチベーションにしたのは「父親への怒り」でした。

「女は勉強しなくていい。利口になったら男に口ごたえをするようになる」。通信簿を見せた私に、父は言い放ちました。小学校一年生の一学期の時です。昭和ヒトケタ生まれで封建的な土地で育った父は、その価値観が差別だという自覚すらなかったのでしょう。

父は仕事の関係で不在がちだったこともあって、物心ついた時から私の父への印象はたいへんネガティヴなものでした。私の勉強の目的は、とにかく父親を見返すこと。父親への反抗心がエネルギーだったのです。

私は地元の公立高校に進みました。一浪はしたものの、地方の国公立大学ならなんとかなりそうな学力でした。調べていくうちに夜間部を設けている大学があることや、大学の授業料減免制度を知り、働きながらであれば私でも進学できるメドが立ちました。

当時はバブル期だったおかげで、夜間大学に通うことが条件でも、さほど苦労することなく就職できました。勤め先の先輩方の多くは、私の勉学を応援してくれました。あの時の周りの方たちの好意には、感謝してもしきれません。

一人暮らしを始めるためのお金は、母がへそくりから用意してくれました。

新居のワンルームに大の字に仰向けになって天井を眺めて、込み上げてきたのは安心感よりも脱力感でした。もう酔っぱらった父の怒号や愚痴を聞かなくて済む!

大学の同級生の中には5月の連休を過ぎた頃にホームシックにかかる子がいましたが、私にはその感覚がさっぱり分かりませんでした。

私は学びについて、あまりにも「知らないことを知る喜び」、「間接的にでも人や社会の役に立ちたいという思い」をないがしろにしてしまいました。結果、学んだ内容をまったく覚えていません。

私は父親のせいで過食嘔吐をするようになったと思い込んでいました。ならば、親元を離れ自活できるようになり、「女は勉強しなくていい」と言った父に反抗して自腹で大学を卒業したのだから、問題は解決したはずです。もう過食嘔吐をする必要はないはずです。

でも、止まりませんでした。ただただ過食嘔吐は深刻さを増していきました。恨む対象が消えた日々を、どう生きて行ったらよいか分からなかったのです。私の20代の時間とお金は、過食嘔吐とダイエット、うつと、それを紛らわせるための娯楽に費やされました。

30歳を過ぎて自助グループに出会いました。行きつ戻りつしながら長い時間をかけて、生きることや考えることの根っこを、「恨み」から別のものに置きかえていくことができました。

かつての私のように、怒りを原動力に勉強なり仕事を頑張る人がいるかもしれませんが、私の経験からしておすすめしません。あまりにも余分なエネルギーを使うし、達成しても満足できないし、自分の考え方が歪んでしまうからです。

さて月日は流れ、父は認知症になりました。

母の話によると、自力でトイレには行けるものの、記憶力がすっかり衰えたそうで、お医者さんから目の前で聞いたことも端から忘れてしまうそうです。夏の盛りに「年末だから散髪に行かなくてはならん」などと繰り返していたとか。

もしかしたら、私にしでかしたあんなことやこんなことも忘れているかもしれませんね。

現実の世界で父親が死んでも、私の脳の中で父親の記憶は残ります。だからこそ、父が死ぬ前に自助グループや医師の助けを借りて、距離的にも経済的にも父から離れて、精神的にも「どうでもいい存在」に落としこめてよかったと思っています。

今の私は、私が心地良いと思える人たちを知っているし、今日と明日をどうマネージメントできるかは私が決められるからです。

日々の生活

  • 2022.05.11 Wednesday
  • 12:30

4月から、私たちのホームグループのミーティングが再開されました。


年明け早々にまたしても感染拡大の影響により会場が借りられなくなっていたのですが、また今まで通りに開催できるようになりました。ほんとにこれで最後にしてほしいです。


ミーティングの始まる少し前に会場へ行き、メンバーと会い、雑談をする。今まで当たり前と思っていたことがどんなにありがたいか感じています。


当たり前と言えば、若い頃は元気なのが当たり前だと思っていました。

ミーティングに通い始め、徐々に身体が回復し始めたときもたしかにありがたいと感じたのですが、50歳を過ぎて、その頃とはまた違った心境にて健康のありがたさを強く感じております。過食が止まったころは「かつて持っていた体力を取り戻せた!」という喜びでしたが、今は「人生の折り返しを過ぎ徐々に衰えていく体力ではあるが、落ちていく坂道の傾斜を少しでもなだらかにしていこう」という思いです。


こちらのブログを開設したのが2002年(当初は別のブログサービスでした)、私が30代の頃です。


中学生の頃から15年も続いた過食嘔吐からの解放と、そのうれしさからブログを始めたように記憶しています。まあ思いつくままに言いたいことを書いていました。たとえば人間関係にまつわる出来事などにもすぐに反応して、自分の思いや意見を書き込んでいました。あの頃にSNSがあったら、プロフィールに「過食やお酒が止まっている期間」なども深く考えずに表示していたんじゃないでしょうか。まだソーシャルメディアが発達していなくてよかったです、ほんと。


現在でも、日々見聞きするものに思うことはあります。


しかし、私自身に「爆発するような喜怒哀楽のエネルギー」が減ってきたこともあり、様子見することが多いです。「怒」と「哀」はともかく「喜」と「楽」もしぼんできているのはどうかと自分で突っ込んでおりますが。


他人様と世の中はどうにも思い通りにはなりません。陰でそっと祈りつつ、普通の日常生活に感謝しながら日々を過ごしています。


日常をおだやかに過ごせること、そして、楽しいことだけでなく、悲しいこと、辛いこともシェアできる居場所があることが、いちばんありがたいです。


(追伸)

この記事を書いている最中に、あるお笑い芸人さんの訃報がありました。テレビを通してしか知りませんが、長年ご活躍されていて、私が過食でしんどかったときも、たくさん笑わせてもらいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2021年 年末のごあいさつ

  • 2021.12.31 Friday
  • 22:33

もう少しで2021年も終わりです。

 

今年もミーティングをたびたび中止せざるを得なかった一年でした。それでも、飲酒や過食嘔吐を再発させずに過ごせました。このことは、何年経っても忘れずにいたいです。ミーティングや仲間へ感謝です。

 

私がAAのミーティングに行き始めたころ、大みそかは宿泊のできる施設をお借りして仲間のみんなと集まってミーティングをしたり、料理を手伝ったりしていました。遠方から訪れてくださるAAメンバーもいらっしゃいました。まだまだ不安定だった私にとって、この時間を仲間と一緒に過ごせたことは本当に救いでした。

 

もし、あの頃の精神状態の私が今のようなコロナ禍にさらされていたらどうなっていたかと思うと、ぞっとします。でも、20年前の私のように苦しみ、どうしようもない気持ちになっている人が、この晩にもきっといるのだろうと想像します。早く気軽に人が集まれるようになるよう、心から願っています。そして一人でも多くの人が私たちの集まりに足を運んでもらえるように、AA、OAという居場所を守り続けていこうと思います。

 

みなさま、今年一年おつかれさまでした。来る年も、健やかで平安な一年でありますように!

 

10月から自助グループの活動が再開されました。

  • 2021.11.11 Thursday
  • 12:26
再開から一か月、今のところ滞りなくミーティングを行えています。今から年末年始にかけて次の感染のヤマが来るのか、また会場がお借りできなくなるのか分かりませんが、これまでほどにはならないだろうと願いながら過ごしています。

AAグループでは、いつものメンバーとも約3ヶ月ぶりに顔を合わせました。久しぶりのミーティングではお互いに積もる話もあって、体験の分かち合いよりも近況報告の話題がメインになりました。お互いなんとかやり過ごせていたようでなによりです。

あと、ちょっと目新しかったこと。

地域のオフィスを通じて、私たちのグループに見学しに来た方がいらっしゃいました。プライバシーがあるので詳細は伏せますが、その方ご自身も、これまでは社会生活の都合上、集会等への参加を控えなければいけなかったそうです。

コロナ禍になるまでは当たり前だと思っていた、当たり前だとも気づいていなかったことが、そうではなかったのだと、この出来事でも実感しました。

私が自助グループに通い続けるのは、もちろん自分の食べ物の問題、飲酒の問題からの回復のためです。
さらに、自助グループのミーティングは私にとって職場と家庭とは別の、もう一つの居場所でもあります。これが精神的に大きな支えになっています。
これからもこの居場所を維持するために、仲間とのお付き合いを大切にしながら、コツコツと陰徳を積んでいきたいです。……口出しし過ぎて若い人たちからうっとうしがられない程度にね!

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